おもしろいタイトルの小説かと思って本書を開いてみたら、科学の視点と科学ネタを絡めたエッセイ集だった。手元の文庫は平成21年(2009)10月の第14版。平成17年(2005)12月初版発行である。「ダイヤモンドLOOP」「本の旅人」に掲載された連載を収録した文庫オリジナル。
エッセイに付された初出の日付をざっと見ると、両誌で2003年4月号~2005年9月号の期間に連載されていたようである。
このエッセイ集を読み、私的におもしろい、興味深いと思った点をまとめてご紹介しよう。
1.文庫本としては普通に縦書きの本なのに、目次は横書きになっている。サイエンスの本は横書きの本が多いから、『さいえんす?』の目次を横書きにしたのだろうか。それとも意図的に違和感を演出しているのだろうか。見かけないスタイル!
2. 科学に関するあれこれエッセイと言いながら、<北京五輪を予想してみよう> <堀内はヘボなのか?> <ひとつの提案>など、メダル獲得予想や野球の予想に関わるエッセイなど脇道に入ったエッセイもある。連載された当時の雰囲気が感じ取れ、懐かしめる。
3. ミステリー作家の視点で、科学技術の進歩が、創作に対して大きく影響を及ぼす側面を語っている。
<科学技術はミステリを変えたか>
携帯電話、デジタルカメラ、交通機関の発達、インターネットの広がりなどの科学
技術と小説の構想、トリックの工夫との関係を作家の立場、舞台裏から語っている。
「もっとも、作家が現実を追い越し、小説中で新犯罪を予見した、というケースは
極めて稀だ」と末尾で述べてはいる。
<ツールの変遷と創作スタイル>
作家として手書きからいち早くワープロへ、さらにパソコンへと転換した体験談を
語る。特にかな入力を選択した理由を述べている。ツールが進化しても、楽になら
ない側面が、このエッセイのオチになっている。
<嫌な予感>
科学捜査による身元特定を話材にする。特に、DNAに光を当てていく。
「彼等(=役人)は政治家を操り、国民全員のDNAデータを揃えようとするので
はないか」(p36)という危惧まで飛び出してくる。無いとは言えない・・・。
4. 携帯電話やインターネットは疑似コミュミケーションと論じている。
冒頭に、<疑似コミュニケーションの罠(1)> <疑似コミュニケーションの罠(2)>が取り上げられている。インターネットの掲示板、出会い系サイト、携帯電話、電子メールなどを俎上にのせて、「生身の人間同士のコミュニケーションが確立されているという前提」(p18)の重要性を論じる。「間違っても、『新しいコミュニケーション』などという表現を使ってはならない」(p18)と著者は言う。
5. 当時の時代状況を反映するテーマが取り上げられていて科学と絡めて語られる。
<教えよ、そして選ばせよ>
自宅のマンションの回覧「夏の電力供給不足による停電問題が起こってしまったら」
に絡めて、原発問題、あらゆる危険姓とその確率の公表が論じられている。
<何が彼等を太らせるのか>
様々なダイエット法の氾濫に目を向けたエッセイ。末尾の一文がアイロニカルだ。
「我々はいつまで馬鹿げたマッチポンプを続けるのだろうか」(p67)
<人をどこまで支援するか?>
カーナビと運転支援装置の開発、自動車の電子制御の現状が話材になっている。
このエッセイの結論がおもしろい。近未来予測としてのドライバーの弁明発言だ。
<滅びるものは滅びるままに>
江戸時代には黄色い朝顔があったということをネタに、絶滅種の復活、クローンを
論じている。一方で、冷徹に言う。「自然破壊が終わるのは、人間が絶滅した時だ
ろう」(p79)と。
<調べて使って忘れておしまい>
自己の利用体験を踏まえて、電子辞書の功罪を語るエッセイ。そして、末尾の文が
おもしろい。「彼等(=子供たち)の脳の発達に関しては、大人たちに責任がある
のだ」(p85)と着地させる。
<少子化対策>
「少子化に歯止めをかけるには、女性が出産を検討できる期間を大幅に広げるしか
ない、と私は考える」(p104)というのが著者の主張である。
<大災害! 真っ先に動くのは・・・・・・>
大震災の直後に起こる様々な事象を取り上げている。その上で結論づける。真っ先
に動くのは詐欺師だと。ウ~ン、ナルホド。嫌な現象だが頷かざるを得ない。
<誰が悪く、誰に対する義務か>
このエッセイで著者がスノーボード好きということを知った。雪に引っかけて、温
暖化問題が論じられている。末尾に若者側の主張を提示し、「この正論にどう答え
ればいい?」(p141)と読者に投げかけている。
<もう嘆くのはやめようか>
2005年6月から実施される特定外来生物被害防止法に絡めて、外来種の放置に伴う
問題を取り上げたエッセイ。末尾は悲観調である。
<ネットから外れているのは誰か>
500円硬貨の偽造事例から技術者たちの過信について論じ、コールバック・サービ
スの問題事例に展開する。外れているのは誰かの指摘がオチになっている。
<今さらですが・・・・・>
血液型性格判断は全く科学的根拠がないのに、繰り返しブームが起こっている実態
を取り上げているエッセイ。最後のオチがおもしろい。
<どうなっていくんだろう?>
2000年問題、2007年問題が論じられている。今から見れば遙か過去の話。だけど、
このエッセイを読み、職人達の「勘」は、本当に数値化・技術化でき、コンピュー
タ技術の中に組み込むことができたのだろうかと、改めて疑問に思う。
6. 著者の経験と絡めて論じられているエッセイにも、おもしろい視点が押さえられている。<数学は何のため?> <誰が彼の声を伝えるのか> <理系はメリットか> <二つのマニュアル> <42年前の記憶> これらのエッセイは著者の背景を知る上でもおもしろい。
7. 作家という立場に絡んだ主張も語られている。
<ハイテクの壁は、ハイテクで破られる>
書店の激減傾向、そこに万引きが絡んでいること。それに対する対応策としてのI
Cタグの検討。だが、必ずハイテク破りが出てくることを論じている。著者曰く「
犯罪防止にはローテクが一番だと思っている」(p54)と。
<著作物をつぶすのは誰か>
貸与権が認められているのは音楽や映像に対してのみだそうだ。貸与権を出版物に
も適用することを主張。この点を論じている。「一冊の本を何千人に貸そうが、作
家に入るのは一冊分の印税でしかない」(p58)書籍の電子書籍化に懸念を提起し
ている。
<本は誰が作っているのか>
収録エッセイの最後がコレ! 著者の論点は実に明解。「この世に新しい本が生み
出されるのは、書店で正規の料金を払って本を買ってくれる読者の方々のおかげで
ある」(p186)。
とは言え、新刊書も買うけれど、図書館や新古書店も愛用するなあ・・・・・。
20年ほど前の科学ネタと含めたエッセイ集だが、そこに含まれる視点は決して古くはない。問題指摘は今も生きていて、連続していると思う。
気軽に読めるエッセイ集である。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『虚ろな十字架』 光文社
『マスカレード・ゲーム』 集英社
「遊心逍遙記」に掲載した<東野圭吾>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 35冊
エッセイに付された初出の日付をざっと見ると、両誌で2003年4月号~2005年9月号の期間に連載されていたようである。
このエッセイ集を読み、私的におもしろい、興味深いと思った点をまとめてご紹介しよう。
1.文庫本としては普通に縦書きの本なのに、目次は横書きになっている。サイエンスの本は横書きの本が多いから、『さいえんす?』の目次を横書きにしたのだろうか。それとも意図的に違和感を演出しているのだろうか。見かけないスタイル!
2. 科学に関するあれこれエッセイと言いながら、<北京五輪を予想してみよう> <堀内はヘボなのか?> <ひとつの提案>など、メダル獲得予想や野球の予想に関わるエッセイなど脇道に入ったエッセイもある。連載された当時の雰囲気が感じ取れ、懐かしめる。
3. ミステリー作家の視点で、科学技術の進歩が、創作に対して大きく影響を及ぼす側面を語っている。
<科学技術はミステリを変えたか>
携帯電話、デジタルカメラ、交通機関の発達、インターネットの広がりなどの科学
技術と小説の構想、トリックの工夫との関係を作家の立場、舞台裏から語っている。
「もっとも、作家が現実を追い越し、小説中で新犯罪を予見した、というケースは
極めて稀だ」と末尾で述べてはいる。
<ツールの変遷と創作スタイル>
作家として手書きからいち早くワープロへ、さらにパソコンへと転換した体験談を
語る。特にかな入力を選択した理由を述べている。ツールが進化しても、楽になら
ない側面が、このエッセイのオチになっている。
<嫌な予感>
科学捜査による身元特定を話材にする。特に、DNAに光を当てていく。
「彼等(=役人)は政治家を操り、国民全員のDNAデータを揃えようとするので
はないか」(p36)という危惧まで飛び出してくる。無いとは言えない・・・。
4. 携帯電話やインターネットは疑似コミュミケーションと論じている。
冒頭に、<疑似コミュニケーションの罠(1)> <疑似コミュニケーションの罠(2)>が取り上げられている。インターネットの掲示板、出会い系サイト、携帯電話、電子メールなどを俎上にのせて、「生身の人間同士のコミュニケーションが確立されているという前提」(p18)の重要性を論じる。「間違っても、『新しいコミュニケーション』などという表現を使ってはならない」(p18)と著者は言う。
5. 当時の時代状況を反映するテーマが取り上げられていて科学と絡めて語られる。
<教えよ、そして選ばせよ>
自宅のマンションの回覧「夏の電力供給不足による停電問題が起こってしまったら」
に絡めて、原発問題、あらゆる危険姓とその確率の公表が論じられている。
<何が彼等を太らせるのか>
様々なダイエット法の氾濫に目を向けたエッセイ。末尾の一文がアイロニカルだ。
「我々はいつまで馬鹿げたマッチポンプを続けるのだろうか」(p67)
<人をどこまで支援するか?>
カーナビと運転支援装置の開発、自動車の電子制御の現状が話材になっている。
このエッセイの結論がおもしろい。近未来予測としてのドライバーの弁明発言だ。
<滅びるものは滅びるままに>
江戸時代には黄色い朝顔があったということをネタに、絶滅種の復活、クローンを
論じている。一方で、冷徹に言う。「自然破壊が終わるのは、人間が絶滅した時だ
ろう」(p79)と。
<調べて使って忘れておしまい>
自己の利用体験を踏まえて、電子辞書の功罪を語るエッセイ。そして、末尾の文が
おもしろい。「彼等(=子供たち)の脳の発達に関しては、大人たちに責任がある
のだ」(p85)と着地させる。
<少子化対策>
「少子化に歯止めをかけるには、女性が出産を検討できる期間を大幅に広げるしか
ない、と私は考える」(p104)というのが著者の主張である。
<大災害! 真っ先に動くのは・・・・・・>
大震災の直後に起こる様々な事象を取り上げている。その上で結論づける。真っ先
に動くのは詐欺師だと。ウ~ン、ナルホド。嫌な現象だが頷かざるを得ない。
<誰が悪く、誰に対する義務か>
このエッセイで著者がスノーボード好きということを知った。雪に引っかけて、温
暖化問題が論じられている。末尾に若者側の主張を提示し、「この正論にどう答え
ればいい?」(p141)と読者に投げかけている。
<もう嘆くのはやめようか>
2005年6月から実施される特定外来生物被害防止法に絡めて、外来種の放置に伴う
問題を取り上げたエッセイ。末尾は悲観調である。
<ネットから外れているのは誰か>
500円硬貨の偽造事例から技術者たちの過信について論じ、コールバック・サービ
スの問題事例に展開する。外れているのは誰かの指摘がオチになっている。
<今さらですが・・・・・>
血液型性格判断は全く科学的根拠がないのに、繰り返しブームが起こっている実態
を取り上げているエッセイ。最後のオチがおもしろい。
<どうなっていくんだろう?>
2000年問題、2007年問題が論じられている。今から見れば遙か過去の話。だけど、
このエッセイを読み、職人達の「勘」は、本当に数値化・技術化でき、コンピュー
タ技術の中に組み込むことができたのだろうかと、改めて疑問に思う。
6. 著者の経験と絡めて論じられているエッセイにも、おもしろい視点が押さえられている。<数学は何のため?> <誰が彼の声を伝えるのか> <理系はメリットか> <二つのマニュアル> <42年前の記憶> これらのエッセイは著者の背景を知る上でもおもしろい。
7. 作家という立場に絡んだ主張も語られている。
<ハイテクの壁は、ハイテクで破られる>
書店の激減傾向、そこに万引きが絡んでいること。それに対する対応策としてのI
Cタグの検討。だが、必ずハイテク破りが出てくることを論じている。著者曰く「
犯罪防止にはローテクが一番だと思っている」(p54)と。
<著作物をつぶすのは誰か>
貸与権が認められているのは音楽や映像に対してのみだそうだ。貸与権を出版物に
も適用することを主張。この点を論じている。「一冊の本を何千人に貸そうが、作
家に入るのは一冊分の印税でしかない」(p58)書籍の電子書籍化に懸念を提起し
ている。
<本は誰が作っているのか>
収録エッセイの最後がコレ! 著者の論点は実に明解。「この世に新しい本が生み
出されるのは、書店で正規の料金を払って本を買ってくれる読者の方々のおかげで
ある」(p186)。
とは言え、新刊書も買うけれど、図書館や新古書店も愛用するなあ・・・・・。
20年ほど前の科学ネタと含めたエッセイ集だが、そこに含まれる視点は決して古くはない。問題指摘は今も生きていて、連続していると思う。
気軽に読めるエッセイ集である。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『虚ろな十字架』 光文社
『マスカレード・ゲーム』 集英社
「遊心逍遙記」に掲載した<東野圭吾>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 35冊