内表紙、目次の次に、再び本書のタイトルを記したページが来て、そこに「季語は縄文の神が棲まいたもう御社(みやしろ)である」という副題が記されている。この発想がまず仰天でありおもしろいと思う。本書はエッセイ集。著者が己の過去と現在の時の流れの中で、言いたい放題を語っている感じをうける。だが、一方で、著者の創作遍歴とその当時の背景を垣間見られるという点の面白さが加わる。
本書は、「オール讀物」(2021年6月号~2022年2月号)に連載された後、加筆され2022年6月に単行本が刊行された。
本書から知ったこと、感じたこと、読後印象などを交えて、列挙してご紹介したい。
1.著者は2021年3月22日に「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」というガンになってしまった。抗ガン剤での治療を継続しながら、このエッセイともうひとつの連載だけを続けたという。その他の連載作品その他はストップ。本書を読むまでは、著者がガンになっていたことを全く知らなかった。このとき著者は70歳。「あとがき」も再入院中に記されている。
2.本エッセイ集は、その文体がコロコロと変化していく。好き勝手に書いているようにすら感じる文体もあり、その変化自体がある意味おもしろい。告白調の記述文体がいくつも出てくる。著者自身が、抗ガン剤の影響を受けてハイになった状態で書いたエッセイと後半のエッセイとでは文体が変化している点を自覚して書いている。意図的に文体を変えたわけではなさそう。でも、ここに夢枕獏の作家としての本領の一端が垣間見えるとしたら、これもまたおもしろい。
3.「第一回 真壁雲斎が歳したになっちゃた」のエッセイで知ったこと。真壁雲斎もそうだが、著者が集英社から、『仰天・プロレス和歌集』(1989)、『仰天・文壇和歌集』(1992)という「仰天和歌」の本を出しているなんてことも初めて知った。著者自身が例示している中から幾つか引用してみる。
膝に疾るこの痛みを我問わん 膝十字固めときには言いけり
”とうちゃんはプロレスラーです”という作文 息子は引き出しにそっとしまいおり
あの賞が欲しいと口にはせねど欲しいと作品が叫んでいる
しらじらと夜は明けて原稿用紙もしらじら
新しい濡れ場書くたびに”この女は誰なのよ”妻への言いわけ先にネタが切れ
木枯しにコートの襟ちょっと立ててしまうきみのこころにもすんでいる北方謙三 p10
4.「第4回 『おおかみに蛍が一つ--』考」にはいくつか興味深い記述がある。
*金子兜太作句「おおかみに蛍が一つ付いていた」について、論じていること。
*日本の三大偉人は空海、宮沢賢治、アントニオ猪木と著者は主張してきた。しかし
著者はアントニオ猪木を偉人から外した経緯を語る。
*宮沢賢治とはある意味真逆の要素を持つ高村光太郎の詩を好きだと論じていること。 *夏井いつきさんの夫が肺癌の手術をされたという。その時の夏井いつきさんの作句
「蛍草」と題の付けられた全12句が紹介されている。
5.著者は、ガン治療のために一時ストップしている諸連載について触れるいっぽうで、己の脳内にふつふつと新たな作品への発想が湧いてくること、その発想内容を具体的に書き、熱く語っている。作品のネタはつきないようだ。創作への強い思いを感じる。
6.仰天俳句に至る経緯の間に、著者の様々な作家人生の側面が、自由奔放というか、ハチャメチャというか、著者の思いのままに、あちら行き、こちら行きという風に織り込まれていく。
で、著者が物語作家脳を俳句脳にする上で、影響を受けたのが、「プレバト」の俳句であり、夏井いつきさんだと記す。仰天俳句の作句までの経緯が、断片的に織り込まれるかの様に綴られ最後に着地するのだから、おもしろい。
このエッセイ集は、「最終回 幻句のことをようやく」の最後に、著者作の俳句を「黒翁の窓」とタイトルを付け、19句載せて着地する。その最後の句は、
おいガンよ蓮華を摘みにいかないか
籠にワインとクラッカー入れ(いつき) 夏井いつきさんの七七の付け句
さらに、再入院の時の作句として、二句載っている。
夜嵐にいくつ鳴るやら除夜の鐘
野の仏桜の雨の降りませと
他にもいろいろあるがこのくらいに留め、印象的な文を最後にご紹介しておこう。
*漢字とは何か。
それは、世界で一番短い神話である。それは、世界で一番短い物語である。 p111
*縄文の考え方として、「この世の全てのものには霊が宿っている」というものがあります。 p204
*縄文の神とは--「それは宿神である」ということになる。
宿は、酒であり、咲であり、佐久でもあり、坂であり、シャカであり、宿神すなわち、守宮神であり、ミシャグチ神であり、なんと我らが陰陽師、安部清明があやつるところの式神であるということになる。芸能で言えば、これは、翁ということになる。 p209
*宿神は、摩多羅神であり、宿であり、それらはつまり縄文の神ではないかと僕は思っているのである。 p216
*型あればこそ、多くの芸事は成立しているのではないか。必要なのは、この型に心をのせることだ。型を学んでこそ、”かたやぶり”なこともできるのである。 p266
*言葉にどれほどの力があるのだろうか。
物語に、どれほどの力があるのだろうか。
そんなことを日々考えちゃう。
わからん。
わからんよねえ、諸君。
わからんが、ただ---
仕事は、やろう。
原稿を、やろう。
釣りも、やろう。
言葉には、力がある。
言葉には、力がある。
言葉には、力がある。
物語には、力がある。
ここを、死守したい。
どれだけ空しくとも、そう言わねばならない。
ここが、自分の住む国だからである。
もんくあるか。 p341-342
読者にとっては、まさに作家夢枕獏を知るためのエッセイ集と言える。
ご一読ありがとうございます。
補遺
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫 :「がん情報サービス」
真壁雲斎 ⇒ キマイラ・吼 :ウィキペディア
宿神 :「コトバンク」
摩多羅神 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
[遊心逍遙記]に掲載
『大江戸釣客伝』上・下 講談社文庫
『大江戸火龍改』 講談社
『聖玻璃の山 「般若心経」を旅する』 小学館文庫
本書は、「オール讀物」(2021年6月号~2022年2月号)に連載された後、加筆され2022年6月に単行本が刊行された。
本書から知ったこと、感じたこと、読後印象などを交えて、列挙してご紹介したい。
1.著者は2021年3月22日に「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」というガンになってしまった。抗ガン剤での治療を継続しながら、このエッセイともうひとつの連載だけを続けたという。その他の連載作品その他はストップ。本書を読むまでは、著者がガンになっていたことを全く知らなかった。このとき著者は70歳。「あとがき」も再入院中に記されている。
2.本エッセイ集は、その文体がコロコロと変化していく。好き勝手に書いているようにすら感じる文体もあり、その変化自体がある意味おもしろい。告白調の記述文体がいくつも出てくる。著者自身が、抗ガン剤の影響を受けてハイになった状態で書いたエッセイと後半のエッセイとでは文体が変化している点を自覚して書いている。意図的に文体を変えたわけではなさそう。でも、ここに夢枕獏の作家としての本領の一端が垣間見えるとしたら、これもまたおもしろい。
3.「第一回 真壁雲斎が歳したになっちゃた」のエッセイで知ったこと。真壁雲斎もそうだが、著者が集英社から、『仰天・プロレス和歌集』(1989)、『仰天・文壇和歌集』(1992)という「仰天和歌」の本を出しているなんてことも初めて知った。著者自身が例示している中から幾つか引用してみる。
膝に疾るこの痛みを我問わん 膝十字固めときには言いけり
”とうちゃんはプロレスラーです”という作文 息子は引き出しにそっとしまいおり
あの賞が欲しいと口にはせねど欲しいと作品が叫んでいる
しらじらと夜は明けて原稿用紙もしらじら
新しい濡れ場書くたびに”この女は誰なのよ”妻への言いわけ先にネタが切れ
木枯しにコートの襟ちょっと立ててしまうきみのこころにもすんでいる北方謙三 p10
4.「第4回 『おおかみに蛍が一つ--』考」にはいくつか興味深い記述がある。
*金子兜太作句「おおかみに蛍が一つ付いていた」について、論じていること。
*日本の三大偉人は空海、宮沢賢治、アントニオ猪木と著者は主張してきた。しかし
著者はアントニオ猪木を偉人から外した経緯を語る。
*宮沢賢治とはある意味真逆の要素を持つ高村光太郎の詩を好きだと論じていること。 *夏井いつきさんの夫が肺癌の手術をされたという。その時の夏井いつきさんの作句
「蛍草」と題の付けられた全12句が紹介されている。
5.著者は、ガン治療のために一時ストップしている諸連載について触れるいっぽうで、己の脳内にふつふつと新たな作品への発想が湧いてくること、その発想内容を具体的に書き、熱く語っている。作品のネタはつきないようだ。創作への強い思いを感じる。
6.仰天俳句に至る経緯の間に、著者の様々な作家人生の側面が、自由奔放というか、ハチャメチャというか、著者の思いのままに、あちら行き、こちら行きという風に織り込まれていく。
で、著者が物語作家脳を俳句脳にする上で、影響を受けたのが、「プレバト」の俳句であり、夏井いつきさんだと記す。仰天俳句の作句までの経緯が、断片的に織り込まれるかの様に綴られ最後に着地するのだから、おもしろい。
このエッセイ集は、「最終回 幻句のことをようやく」の最後に、著者作の俳句を「黒翁の窓」とタイトルを付け、19句載せて着地する。その最後の句は、
おいガンよ蓮華を摘みにいかないか
籠にワインとクラッカー入れ(いつき) 夏井いつきさんの七七の付け句
さらに、再入院の時の作句として、二句載っている。
夜嵐にいくつ鳴るやら除夜の鐘
野の仏桜の雨の降りませと
他にもいろいろあるがこのくらいに留め、印象的な文を最後にご紹介しておこう。
*漢字とは何か。
それは、世界で一番短い神話である。それは、世界で一番短い物語である。 p111
*縄文の考え方として、「この世の全てのものには霊が宿っている」というものがあります。 p204
*縄文の神とは--「それは宿神である」ということになる。
宿は、酒であり、咲であり、佐久でもあり、坂であり、シャカであり、宿神すなわち、守宮神であり、ミシャグチ神であり、なんと我らが陰陽師、安部清明があやつるところの式神であるということになる。芸能で言えば、これは、翁ということになる。 p209
*宿神は、摩多羅神であり、宿であり、それらはつまり縄文の神ではないかと僕は思っているのである。 p216
*型あればこそ、多くの芸事は成立しているのではないか。必要なのは、この型に心をのせることだ。型を学んでこそ、”かたやぶり”なこともできるのである。 p266
*言葉にどれほどの力があるのだろうか。
物語に、どれほどの力があるのだろうか。
そんなことを日々考えちゃう。
わからん。
わからんよねえ、諸君。
わからんが、ただ---
仕事は、やろう。
原稿を、やろう。
釣りも、やろう。
言葉には、力がある。
言葉には、力がある。
言葉には、力がある。
物語には、力がある。
ここを、死守したい。
どれだけ空しくとも、そう言わねばならない。
ここが、自分の住む国だからである。
もんくあるか。 p341-342
読者にとっては、まさに作家夢枕獏を知るためのエッセイ集と言える。
ご一読ありがとうございます。
補遺
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫 :「がん情報サービス」
真壁雲斎 ⇒ キマイラ・吼 :ウィキペディア
宿神 :「コトバンク」
摩多羅神 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
[遊心逍遙記]に掲載
『大江戸釣客伝』上・下 講談社文庫
『大江戸火龍改』 講談社
『聖玻璃の山 「般若心経」を旅する』 小学館文庫