何か知らないけど、世界の闇を見ようとすると、すっ飛んできて「陰謀論だ!!」と過敏になる人がずっと不思議だった。
なんでそこまで必死になるのか、違和感があった。
明らかに「何か」を怖がっている。
誰かが闇を勘繰ったら不都合でもあるのか、そこまでして必死で阻止したい、深い理由でもあるのか。
まーそうだろうね。
そうじゃなかったらとここまで必死にならないよね。
私、逆の立場で考えてみたのよ。
もし、私がそういうものに興味がなかったとして(実際、数年前まで全然興味なかった)、誰かがそういう陰謀論話していても「ふうん、面白いこと言う人がいるんだね」程度で、それをやめさせようとか絡もうとか、ましてや人格否定しようとか、侮辱しようなんて思いもつかなかった。
だって、その人がどんな闇を探ろうと疑おうと、別に困ることなんてないからね。
もっと早く気づくべきだった。
「陰謀論者」と騒ぐ人は、それを勘繰ろうとする人たちが怖いのだ。
そういう人たちによって、もしもそれが事実と認知されたら、とてもなくまずいことがある。
だから、どんな印象操作をしても止めなくちゃいけないんだね。
でも陰謀論と言われていることって、一般民衆にとって不都合なこと?
いやいや逆で、嬉しいことばかりなのよ。
歴史を聞けば、植え付けられた自虐が取れて誇りが持てるし、世の中の闇も悪事もウソも見えてくるし、それが不都合だとしたら「支配側」にとってだけ。
利権しか考えないで「ズルしている側」だけが困る。
真っ当に生きている人たちには、希望が持てる話ばかりなのだ。
ゆえに「陰謀論者」と言いたがる人は、一般大衆が希望を持つことを阻止したい「ズル側」か、
或いは、もしかしたらだけど、本当は自分も希望を持ちたいけど、裏切られ続けるような目に遭ってばかりのせいで、「二度と何も信じるもんか」とひねくれてしまったか?😢
何が言いたいかというと、確かに知るほどに、闇ってとてつもなく深くて受け入れ難い内容もあるんだけど、それはあくまで「ズル側」の話。
その厚い雲を払いのけて、「本当」をよく見たら、美しく魅了される世界が見えてくると思うよ。