1月下旬から2月初めにかけて、時候の常套句として「暮冬」や「晩冬」などが用いられる。「暮」や「晩」は、文字通りの意味の他に、季節や年、あるいは人生などの終わりなどの意味を込めて用いる場合がある。
暮冬は時候の語彙として使用されるほか、あまりお目にかかることはない。晩冬に関しては、陰暦12月の異称でもあるし、句中に織り込むなどして、時候以外でもよく目にする語彙の一つだ。
そう、いずれもが、まさに「冬の終わり」をイメージさせる言葉なのだが、このところの天候は冬真っ只中といった寒さが続いている。冬の終わりどころか、大寒波の襲来に日本中が辟易しているって感じなのだ。
それでも、猫の額にまったく動きがないのかというとそうでもない。「いく分かなりとも」と言った但し書きが付くが、ネムロコザクラ(ユキワリコザクラ)の芽に微かなヤル気が見て取れたりする。
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📷2023年01月26日 高野ハンショウヅルの冬芽なのである。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2023年01月26日 まだ、動きは見られない。緩やかな時が流れている。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
高野ハンショウヅルのいまの姿である。節に芽吹いた毛むくじゃらの冬芽の先が面白い。
まだ、海のモノとも、山のモノとも知れぬナニモノかが、この大寒波にじっと耐えていた。
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📷2023年01月26日 小型有蹄類の足先のようでもある!? (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2023年01月26日 まさかここからキバナイカリソウに変じていこうとは・・・。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
これこそ、ナニモノとも知れぬ異物に見えないだろうか。それこそ、これをご覧になって、キバナイカリソウの芽ではなかろうかと仰る方は、よほど山野草に精通していらっしゃる方なのであろう。
この時期は、こんな芽ばかりを投稿することとなる。ご覧になって頂く方にとって、何の面白味もない画像であろうし、実際、見ていて興味のわくシロモノでもない。
だけどね、このような異形のモノたちからイカリソウの葉なり、花なりが萌え出てくるわけだから、植物とはなんとも面妖なものなのである。
この時期、巷ではロウバイがほのかな香りを漂わせている。まさに、蝋の如き質感の花びらを身に纏ったこの落葉樹は、新たな年の劈頭を飾るに相応しい花木の一つである。
そう、この時期、花を愛でたいものよとなれば、ブラ散歩で知り得た「わが街の花マップ」を繰って目当ての花に会いに行く。再会を喜び合えることもあれば、そうでないこともあるのだが、脳内にアーカイブされた花マップからその季節に出合ったひとつ一つを思い出しながら巡り歩くと、旧友に会いに行くときみたいなわくわく感を覚えるもんだよ。
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