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鶴田知也氏の話

2013年02月11日 | 足跡
鶴田知也(ツルタトモヤ)
(1902年2月19日~1988年4月1日)は日本の小説家。 
福岡県生まれ。東京神学社神学校中退。1922年、北海道の八雲を訪ね、農業指導員・太田正治、ユーラップコタンの首長イコトルらと親交を結ぶ。27年、同郷の葉山嘉樹の勧めで上京、労農芸術家連盟に加盟。「文芸戦線」を舞台に作家活動を開始。左翼文学運動解体後、36年、生涯の友・伊藤永之介と「小説」創刊。同誌発表の「コシャマイン記」で第3回芥川賞受賞。45年、伊藤の勧めで秋田県に疎開。同地に5年留まり、農業問題にかかわる。61年、「月刊農業共同経営」を創刊(後に農業・農民)25年間、同誌の編集・発行人を務める。農業改革者として秋田の農村に水田酪農を提唱した。


鶴田知也氏は秋田に疎開中5年間で1000回にも及ぶ講演活動を精力的に行ったという。
昭和25年秋田をはなれてからも晩年まで秋田に来られて労農大学の開催など啓蒙活動は続いた。下記の講演は私が20代に入り諸活動にはいっていた頃の1966年に湯沢・雄勝で新しく組織した会の記念講演である。当時はテープなどと気の利いたものもなくメモから書き起こしをしたものだ。心に響いたこの話を忘れてならないと集会の後、時間を作ってまとめたものをそのまま公開した。鶴田知也氏の当日の話はそのまま要約されていると思う。この講演は当時、農村定着にふらついていた自分に土着を促した大きな出来事だった。

鶴田知也氏の秋田において1000回にも及ぶ講演活動の一端は「鶴田知也作品集」(新時代社1970年)の秋田時代を題材にした「小柳村の陽気な農夫」や「田植えどき」など作品からうかがえる。これらの作品を読んでみると鶴田知也氏が農業改革運動にたづさわった意気込みが、私達に話した講演と見事に一致するようにも思える。

「青年と農村文化」 鶴田知也

文化ということは終戦後いろいろと問題とされたが、これからそう取り上げることはないだろう。
現在はいろいろな諸情勢からみて一時棚上げの状態である。しかし棚上げにしていることに問題がある。
「文化」というものに対する理解が間違っているのではないだろうか。「文化」というものの理解について統一されていない。
例えば経済学者は「文化とは価値の創造」であると言い、哲学者は「自然と人間の対決の仕方」であると言い、文学者は自然に反抗することであると言う。
しかし、文化的ということは一般に、「少し洒落」ているというような使い方をしている。本来「文化」ということは人間以外にはない。人間がある段階まで発展してこなければ生まれてこない。
文化とはその語源はカルチャーと言い、それは耕すという意味があって人間が耕すこと、農業ということを行うようになって生まれていた。

人間が農業開始以前の時代、採集経済の時代には文化ということはなかったと考えられる。農業というものが起こってからの変化には格段の相違がある。
それは住居とか、着物、食べ物とか自然のものをそのまま使うのではなく、いろいろと人間が手を加えて加工するようになってきたことでわかる。それ以前の人間はそのようなことをしないで自然の物をそのまま使っていた。こういう状態を経済学者は「価値の創造」といったのであると思う。天然、自然の猛威に逆らえなかった。自然に支配されていた状態だった。

それが農業時代になると、人間が自然物に手を加えて生活に役立て、仕組みを変えてきている。こういうことを文明、文化の時代と言っている。自然に支配されているものと違ってその根本は野生のものを野生のものとしてしてだけではなくて手を加えて条件を創ってきた。これを生産という。
生産というものが始まると、遊牧して食べるものを求める状態から一定期間、定着するようになる。そうすると自然物を利用して住居を造ることを考えてくる。また、人間生活にはいろいろな規律が必要であるから一定の約束事が出来てくる。それが発展して社会秩序ができ、法律が出来てくる。このようにみると、人間が生産するということによって初めて文化というものが生まれてきたと言える。人間生活を高めていくための土台が生産を通して生まれてきたのである。

農村は文化水準が低いと一般に言われている。しかしながら近代産業と農業には大きな違いがある。自然との対決という面で近代産業には自然に支配される面が非常に少ない。だが農業にはそれは非常に大きい。近代産業で自然の影響で生産が落ちるということはまずない。
先進国と日本の農業と比較してみると日本の農業が自然に支配されている面が大きい。このことは農業が他の国(先進国)と比べて遅れているということである。生産とは文化の基礎であり、社会の基礎の文化、生産という面を自然支配から取り除いて行くことがこれからの大きな課題と言える。

農村文化問題とは、農業経済問題である。文化の土台である生産というものを解決していかないでその上部ばかり枝葉末節的なことばかり強調してとりあげている。日本の農村文化を論ずる場合、従来のままではいけない。

文化闘争とよく言う。例えば稲作生産費調査などをみると労働力という面が大きなウェイトを占めている。このことは稲を作ることに人間が自然から支配されているということである。ここに自然の支配に抵抗する努力が出来てくる。生産ということはモノを作るということだけではなくて販売するということまで入っている段階である。

しかし、農業と比べて労働組合などには自然支配という面がすくない。だが生産された物を買うということができない資本、経済の問題ができてくる。賃金が安いとかいうように、自分の仕事に忠実に打ち込んでいっても幸福につながらないというような問題がでてくる。だから労働組合のストライキということはそれをやりとげようとする環境づくりの努力の姿であると思う。
そのように考えるとストライキとは生産というものを十分発揮させるための文化運動だと思う。そういう自覚をもって社会を見つめていくようになればもっともっとすばらしい社会なると思う。
「文化」という点に良いものと悪いものも多くある。若い農民が生産に十分打ち込んでいける面が少ないと云う大きな問題点を含んだ環境に現在はある。

現在は文学の退廃がひどい。遠い将来、1960年代には色キチガイが多かったと言われる時代になるだろう。それは映画や文学に見られる。テレビを観ても歌を聴いてもその本筋にはバクチ的な郷愁が潜んでいる。

農村の文化水準が低いということは農民に読書力が少なく時間を無駄にし、生活観念が薄いということにあると考えられる。その大きな原因に文化の基である生産ということを疎かにしているからであり、基礎文化が低いのだから、その枝に花をつけ実をつけている文化が低いのは当たり前である。文化とはそうみてくると非常に複雑な環境にある。生産にバクチ的な面が多いから農村の文化水準が低いということになるのではないかと思われる。

自然との闘い、自然を活用していくことが文化だと考える。技術的に解決できていてもいろいろな条件がある。価格、経済の影響で農業が左右されている。解決されていない面の対策がこれからの課題。バクチ的農業への対決、養豚の場合には三年周期と言われるビックサイクル、そういうのは個人の力ではどうにもならない。共同の力で対処していかなければならない問題も出てくる。

茨城県の玉川農協の例などはうまく解決している。これも一つの大きな文化的な所産だと言える。
農業の大事な点はいかにして合理的に継続的に利益を上げていくかということであると思う。単作地帯では冬期間も生産を上げる条件を創り出す必要がある。そのために新しいものを導入し、さらにそれを共同の力で伸ばしていく力を見につけていく必要がある。
技術上の改善と同時に、それ以外の発展を疎外している条件を取り除く活動も文化を高めるために大事な点である。

私たちは「農業の曲がり角」という言葉を使うことはやめよう。
出稼ぎやその他に見られる障害を曲がるのではなく、そういうものを取り除いていくのが民主主義の原理であり、現代は曲がるのではなくて直進の時代である。マスコミに惑わされない農業全体のためになると云う確信をもって農業に取り組んで行ってもらいたい。

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政府が「農業基本法」を制定し緑の法律などと騒がれたころのことだった。
今でもはっきりと振り返ることができる。あのやさしく、平易な語り口は現在の農業・農村の方向をも示唆しているようにも思える。