新河鹿沢通信   

暮らしの中から 村の歴史 足跡 集落 跳躍  麓風小舎     

山神社修復と神体 1

2015年05月11日 | 村の歴史
集落の東から山道を約1k進むと内沢の中心部に「山神社」が鎮座している。ブログ2014.2.15「冬の内沢探索と昔ばなし」でも山神社にまつわることを記録している。平成13年鳥居の工事がおこなわれ、当時ハガキ通信「河鹿沢通信」60号で紹介した。

ハガキ「河鹿沢通信」60号 2001.5.20

この場所は右の進むと「オヤシキ」、「ナツギャド」へ続き、左に向かうと「ムサワ」、「タキノサワ」へと進み,急峻な山道を進むと大滝沢との境になる峰に到達する。峰から左側を少し下ると通称「ウサギティ」(うさぎ平)になる。この地点は平とはいうがそれほど大きくはない。昭和30年代は草刈の馬や「桐沢」から草や柴を背負っての一時休み場、集積地となっていた。この場所へは相の沢林道から両頭神社に出て、小烏(コガラス)の杉林からも山道があったが今は荒れている。

内沢の山神社は、集落では「山の神様」の名で呼ばれている。平成23年から4年も繰り返された豪雪で屋根などの壊れが酷く、今回集落の住民にお願いして浄財を仰ぎ改修工事が行われることになった。山神社は、冬は山を守る神様、夏は田んぼの神様になる。米価暴落で米の生産意欲が低下気味だが、古くから代々守り続けたきた「山神社」の歴史を絶やしてはならないとの有志が立ち上がり、昨秋に集落に呼びかけ85名から協賛金が集まった。

趣意書のチラシ 2014.10.25

川連、麓集落に上記のチラシが配布された。チラシの中で昭和41年茅葺屋根がトタン屋根工事に、約100名から協賛金が集まった記録が記されていた。

壊れた山神社 2014.9.24

修復後の山神社 2014.10.11 

建設中の鳥居 2015.04.23 

5月12日、社殿補修工事及び鳥居建設竣工を例祭に兼ねて竣工祭りが行われる。今回「山の神」様修復を地域の人たちにお願い中に、「観音社 山神社日記」明治4年(1872)の記録が出てきた。明治の廃仏毀釈でなくなった「妙音寺」の黒瀧源造氏の覚書とある。「詳細は「山神社修復と神体 2」