雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

中山道 5回目 大宮から上尾 その1

2020-12-04 20:49:00 | 中山道
大宮宿
 
本陣が移動して2か所あったそうです
1か所目の本陣跡は
居酒屋になってました
 
入り口の井戸は数年前まで水が流れていたそうですが
今はなんも流れてない
枯れたのかな
 
 
移動した本陣跡はここ
 
牛角になってた
 
本陣はねぇ~~大名しか泊まれなかったのよね
昔はお殿様しか泊まれなかった場所なのに
今は庶民がお酒飲んだり
焼肉食べたりしてる・・・
 
300年後はいったいどんな人たちが
どんな事してるんだろうか

 
こちらは栗原さんの家のほこら・・・
って言っていいんだろうか
栗原さんの家に伝わる神様を祀っているみたい
個人の物です
 
栗原さんって何者???
大宮の大地主で元尖閣諸島南島・北島の地権者だって
なんで大宮の人が・・・って感じですが
お金持ちが島でも買っておきましょうてな感じで持ってたんですかね
覗いてみましたが石像みたいなのが祀られてました

 
東光寺
曹洞宗のお寺
曹洞宗15000寺のうち10指入る北関東の古刹
 
 
和尚さんからの説法を聞けることもあるそうです
この日は不在で聞けませんでしたが
お茶とおせんべいをいただきました
 
椎の木2本
 
 
江戸時代から中山道沿いにあった椎の木
今も立派な樹です
昔も街道を覆うように茂っていて
旅人はこの椎の木をくぐるように歩いて行ったそうです
 
氷川神社への裏参道標 
この道が氷川神社まで続く裏参道

 
 
安政7年の道しるべ
中山道から西に分かれる道と行先を示しています

 
供養塔
 
昔の旅人は旅先で死んだらその地で葬ってもらうしか
方法はなかったようです
旅人は自分の氏名や出身地を着物の襟に縫い付けて
あったそうです
なかには、このお金で葬ってくださいってお金を縫い付けて
いた人もいたそうです
 
大宮宿で亡くなった、旅人を
供養した供養塔です
道端に2基ありました
今でも地元の人が供養してくれているのかなぁ
お水だけ供えてありました
 
東大成の庚申塔
 
元禄10年1697年の建立だって
すごい古いなぁぁ~~
地元では、耳の神さん 目の神さんって大事にされているそうです 
 
 
ここらへんで描かれた浮世絵
 
富士山が描かれています
昔はここらへんから富士山見えたのかな~~
 
この浮世絵は北斎ではありません
浮世絵師の話もしてくれました
中山道は2人の浮世絵師さんで描かれているようです
 
この日の講師は女の先生でした
わかりやすい説明でした
 
歴史にくわしい先生だったりすると
ず~~っと
小難しい話しゃべりっぱなしの先生もいて
あんまり理解できない時もあるの
私、頭悪いから・・・
 
こんな風に浮世絵とか使って説明してくれると
昔をイメージできていいなぁ~~
 
 


大宮・上尾宿続きは明日・・・
長く書くと突然消えちゃうからこの辺で・・・
コメント (2)
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