5年9ヶ月かかって、5街道を制覇し
街道歩きは終わりにしようと
思っていました
歩く中毒、ある中、仲間が
北国街道が良かったと・・・
絶対歩いたほうが良いと・・・
すすめるのよぉ~~
歩いてみるか・・・北国街道ってことで
9月25・26日 1泊2日で歩いてきました
北国街道は
中山道追分から善光寺を経て、越後の城下町高田までを言います
高田からは加賀街道が分岐します
金が、佐渡から、江戸へ運ばれる、黄金の道でもあるため
出雲崎までを北国街道とすることが一般的なようです
北国街道は、庶民の信仰の道で、善光寺道とも呼ばれているそうです
今の国道18号線がほぼ本筋に沿って通っており、
信濃鉄道上信越自動車道がこれに並走しています(北国街道を歩く、岸本豊著 コピぺ)
10:10 軽井川駅
軽井沢駅からバスにて
北国街道と中山道の分岐点にあたる「追分の分去され」まで向かいます
北国街道と、中山道の分岐点にある分去れの碑
左は中山道、京都へ向かう
右は北国街道、越後方面に向かいます
中山道を歩いている時は、この分去されを左方向に歩いていきました
懐かしいね・・・
この日はここからスタートし
右に向かいます
終点の越後高田まで6回に分けて歩きます
長屋門のある高山家で明治天皇が休息されているので
明治天皇行在所跡の碑が残っている
街道歩いていると、この明治天皇の休息場所をたくさん通ります。
類似の日は全国に300カ所余りあるんだって。
昭和10年頃に多く建てられたようです。
柵口神社 (ませぐち神社)
塩野牧の入り口に馬の柵を設けていたので
ませぐちと読むそうです。
読めないわぁ~~
、
平原の松
加賀のお殿様にも褒められた見事なマツ
小諸市保存樹木のカラ松
りっぱだわぁ~
唐松の一里塚
江戸時代は900mのカラ松並木があったらしい・・・
小諸宿には平原・唐松・青木一里塚の3か所があったが
現存するのはここのみ
高浜虚子旧居
俳人高浜虚子が4年間疎開していた時の旧居
小諸宿
小諸城を中心とする江戸時代の城下町であり、北国街道の宿場町でもあった
街道を7カ所で曲げ、敵の侵入を防ごうとしたが、
戌の満水による土石流は、
防ぎようがなかった
海応院
上田合戦で、足止め状態の徳川秀忠の大群は、
住職の調停で休戦し、関ヶ原へ急いだ
戦いには間に合わなかったが、
秀忠から送られた下馬札があるそうです
この寺は馬に乗ったままでは、通れませんよ
下馬札があるから
私達は歩いているのいで大丈夫です
この寺にも立派な唐松がありました
島崎藤村旧居地
明治42年小諸塾の教師として召喚され、数々の文学作品をこの地で執筆
近くに新妻登美子が使っていた井戸が残る
藤村も7年間の小諸生活は
私にとって一生忘れることのできないものだって
言ってたそうです
小諸城跡
城下町より下に城がある
珍しい穴城で、島崎藤村の詩によって広く知られている。
北国街道 第1回 1日目はここで終了
この日の夕食は、ホテル近くのこのレストランでハンバーグ
この日は、30名の参加者
五街道のうち、どこかでお会いしたような顔見知りの方ばかりで
まるで同窓会のようでした
皆さんガツガツといろいろな街道を歩いているようです
新潟高田まで6回のツアーです
真冬は寒くて歩けない地域なので
1回から3回まで年内に歩き
3月から再び残りの4回から6回までを歩く予定となっています
また、楽しい街道歩きの始まりです