雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

山手線一周の旅 第3回 西日暮里〜巣鴨

2024-06-30 10:23:00 | 山手線一周 ウォーク

山手線一周 歴史探究ウォーク

第3回 西日暮里〜巣鴨
西日暮里→田端→駒込→巣鴨


6月29日 曇り 
 
9:30  西日暮里駅集合
 


10:00 高村光太郎旧宅跡
千恵子抄とか道程とか詩集が有名だけど
彫刻家で芸術活動をしてたんだって
ここにアトリエがあって作品を作っていたそうです
今は案内板があるだけ・・・
 



10:15 須藤公園
加賀藩下屋→政治家邸宅→実業家宅(須藤宅)→東京都
高低差のある小さな庭ですがハスの花が可憐に咲いていました
木陰で休憩です

 
団子坂
昔はここで団子が売られていたようで
今は道幅の広い道路ですが
明治期は5mほどの狭い坂道だったようです
 
夏目漱石の三四郎とか
江戸川乱歩の団子坂の殺人事件とか
小説にも度々登場していた坂らしいです



森鴎外記念館(観潮楼跡)
夏目漱石の家に近いこの地に明治25年に引っ越してきたそうです
2階から東京湾を眺望できたことから
観潮楼となずけられているようです

 
今は記念館が建てられていますが
この敷石は昔の森鴎外の住んでいた所の
玄関前に敷かれていたままの状態との事

 
観潮楼から昔は東京湾が見えたようですが
今はスカイツリーが見えます
ビルとビルの隙間から見えます
すこし立つ位置が違っただけで見えません
隙間スカイツリーと呼ばれているそうです



猫の家 (夏目漱石旧宅跡)
明治36年から4年近くここに住んでいたようです
この貸家は漱石が居住する13年前には
森鴎外も住んでいたそうで
二人の文豪がこの地に住んでいたということですね
今は案内版のみ
猫のオブジェがいましたよ
ここで吾輩は猫であるを執筆したそうです
 


駒込大観音
奈良の長谷観音を模して造られたそうです



十一面観音像
高さが6mもありなかなか見ごたえがありました
 
 
瑞泰寺
ここには立ち寄らなかったのですが
狛犬でなく象だったので珍しく
写真撮りました



11:00 駒込土物店跡
神田・千住とともに江戸の三大青物市場
大根・人参・ごぼうなど土の付いたままの野菜が取引
されていたので
土物市場って言うんだって・・・



赤目不動尊
万行和尚が三重県の赤目山から不動明王を授けられ
ここ駒込に庵を開いたそうです
 
三代将軍家光が鷹狩りの際この庵に立ち寄り
目黒・目白不動にたいし目赤不動と呼ぶべしって
命じたんだって・・・
 
江戸に五色不動ってあるんだってよ
目黒・目白は地名になってるし駅もありますから
知ってましたけど
目赤・目青・目黄不動ってあるんだってよ
知らなんだぁ~~
目青・目黄不動って・・・
どこにあるん???
 



吉祥寺
吉祥寺って駅ありますけど
そこには寺はなく
お寺があるのはここ文京区駒込だそうです
 
室町時代太田道灌の開基

 
東京大空襲で本堂など消失し
今残るのは山門と經堂のみ
 
 
境内には
二宮尊徳墓碑がありました
二宮尊徳さん
いろいろな所に墓がありますがね
日光街道歩いてる時、今市宿に墓ありましたよ
確か小田原にもあったはず・・・

 
墓所には
農大創設者の墓や
順天堂大学医学部の解剖に使われた方の供養塔などがありました



天祖神社
駒込の鎮守



駒込名主屋敷跡
この地の開拓を許可された高木一族屋敷跡
 
 
この屋敷の式台付き玄関で
村の訴訟・調停・仲裁など簡単なさばきが行われていた



富士神社(駒込富士)
現在の東京大学赤門のあたりに
富士浅間神社の分霊を
迎え入れたのが起源
 
加賀前田藩がおおきな屋敷を作るのに際し
ここに移転してきた
 
江戸の富士信仰の高まりの中
富士山に見立てた富士塚がきずかれています
 


12:20 お昼ご飯 箱御膳
歩いた後のご飯は美味いです
 
 
1時間のお昼休憩のあと
午後一で訪れたのは
 
六義園
五代将軍綱吉の信任が厚かった川越藩主柳沢吉保のが
1702年築園した庭園
 
桜が綺麗な庭園で
桜のころ何度か来たことがあります
 
柳沢吉保って低い身分から大家老格の15万石の大名に
出世したので周囲からの嫉妬から
後世の読み物や芝居ではあまり評価の良くない人物だったそうです
 
で・・・
なぜに、綱吉から厚い信頼を受け
大名までに出世したのか・・・
 
もちろん優秀な人物であったのは確かなのですが
綱吉さんのお気に入りだったらしい・・・
こんなことパンフレットにも
案内板にも書いてない・・・
講師の先生が話してくれた
 
いやだぁ~~
おもしろい・・・
同性愛者は今も昔もおりましたのね
 
しかし将軍様となれば
お世継ぎを残さなければ・・・
 
映画、大奥の世界だね・・・
大奥もまんざら作り話ばかりではないのよね
 
六義園からおかしな話になりました
 
 
六義園をあとに駒込駅前を通過して

 
染井吉野記念公園
染井吉野桜発祥の地の記念碑がありました
江戸時代はこの辺りが染井と呼ばれており
園芸産業の一大産地だったそうで
ここで品種改良されできた桜が
染井吉野だそうです
なるほどねぇ~~



妙義神社
日本武尊が東征のおり、ここに陣を構えたのちに
社を建てたのが起源
 
室町時代には太田道灌が戦いの度に戦勝祈願したという
「勝ち戦の宮」とされ信仰を集めていた
 
最近、社を建て替えたのか
真新しい社で
日本武尊を語られても
まったく実感がわかない
 
狛犬ならぬ狛猫に目が行ってしまいました
 
妙義山のふもとにある群馬の妙義神社とは
なんも関係ないみたい
 
 
旧古河庭園 
古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅
現在は国有財産
東京都が借り受けて一般公開

 
石造洋館
1階には喫茶室などもあるようですが
団体様なので入らずです

 
洋風庭園
5月から6月のバラのシーズンは過ぎていますが
遅咲きのバラが咲いていました

 
薔薇のアイス
 
20分の自由時間あり
歩き疲れと午後から日差しが強くなり
冷たいアイスがうまし・・・うまし・・・
バラの香りがほんのりと香り
癒されました
 


15:35 巣鴨駅ゴール

 
巣鴨地蔵通商店街
解散してから時間と体力がまだあったので
おばあちゃんの原宿
巣鴨地蔵商店街をフラフラしました



塩大福
元祖 塩大福の「みずの」で父ちゃんに
塩大福を買い
 
喜福堂のあんパンを買い
 
金太郎飴屋さんで
地蔵さんの形のを買い
 
巣鴨と言ったら
赤いパンツなんだけど
赤いパンツ・・・ちと抵抗があったので
赤いソックスを買いました



今回の山手線の旅
再び訪ねたいところは
旧古河庭園かな
バラの満開の時にまた行ってみたいな
しかし、満開の時はきっと人も多いはず
 
早い時間に行ってみよう
 
山手線の旅
暑いけど来週も歩きます
 
 
 
 
 
 
 

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2 コメント

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都会の堅い道は・・・ (八海)
2024-07-02 19:03:06
おかか様こんばんは。
都会も散策出来るとはスーパーウーマンに見えます。
山中で岩や木や沢で行く道はわかりますが大きな建物の底は真っ平ごめんなさいです、帰れなくなります。(笑)
田舎はいいな~!(^^)!
返信する
Unknown (kakadenka1023)
2024-07-06 08:15:39
八海さん!
おはようございます。
五街道完歩して街道ロスに
なってしまいました。
私も群馬の田舎者なんで、
山手線歩きもツアーですよ!
今、色々なツアーがあるんです。
都内歩きもなかなか楽しいです
返信する

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