甲州街道を歩く 第4回 調布から保谷
歩行約11キロ 約5,5時間
12月18日 晴れ
10:00 京王線調布駅集合
10:10 ストレッチしてからのスタート
10:20 小島一里塚跡 江戸から6里目
かつてここにえのきの大樹があったそうですが
危険防止のため昭和40年に伐採されたそう
えのき駐車場ってネーミング
ここにかつて,えの木があったから・・・の
ナイスネーミングだろうけど
危険防止の手立てをしながら
本物のえの木を保存して欲しかったね
ここら辺から下石原宿に入るらしい
10:50 西光寺
徳川家光から御朱印地をいただいた御朱印寺
山門手前に近藤勇像がありました
近藤勇って
上石原村で生まれたそうです
上石原宿に入ってから近藤勇の旗があちこちに
はためいていました
百姓の宮川家の三男でしたが、剣術に優れていたので
剣術の師匠の養子になったそうです
今は宮川家も近藤家も子孫は残っていないそうです
この間、新選組の子孫の方々がテレビに出ていましたが
大河ドラマで二谷幸喜が
新選組のイメージを良くしてくれて
感謝してるって言ってたなぁ~
街道には昔の面影を残すものは少ないですが
こんな立派な黒壁の旧家がありました
江戸時代からここに住んでいるのでしょうねぇ~~
11:10 飛田給薬師堂
元仙台藩医が諸国をまわりこの地で
薬師如来像の石仏を掘りあげたそうです
その後、墓穴を掘り自ら入定し
自分の念仏をとなえる声と鐘の音が聞こえなくなったら
土をかけて欲しいと村人に頼み成仏したそうです
薬師堂には、掘り上げた石仏が安置されているそうですが
見ることはできなかった・・・
生きたまま墓に入るって・・・
何日ぐらいで死ねるんだろうか???
ここを過ぎると間もなく府中宿に入ります
府中宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 29軒
府中宿に飯盛り旅籠8軒を含む38軒の旅籠があり
140軒以上の家が
何らかの商いに関わっていたと言います
府中宿にいけば生活に必要なものが
一通り揃うと言われ
近所の人達が買い出しや行楽に出かける盛り場としても
賑わっていたそうです
11:55 常久一里塚跡 江戸から7番目
甲州街道が整備された江戸時代初期の一里塚であるため
現在の旧甲州街道沿いからは外れた
「品川街道」と呼ばれる道沿いにある
12:25~13:30 お昼ごはん
この日のお昼は中華でした。中華炒めにたっぷりのご飯
ご飯食べきれなかった
コーヒーセルフでサービスあったけど冷たいコーヒーだった
この時期温かいコーヒーがいいよ~~
13:45 明治天皇行在所跡
ビルの横に看板があるのみ・・・
うさぎ狩りで何度も来ていたようです
3泊とかしてる時もあったよ
今はビルだらけだけど
明治時代までは、
うさぎが飛び跳ねていたのね
13:55 武蔵国府跡
奈良時代から平安時代に
武蔵国の政治・経済・文化の
中心として栄えていたところ
建物の柱跡などが復元されていました
:
13:55 大國魂神社
武蔵国の鎮守として、創建、
府中に国府がおかれるようになると
武蔵総社となる
江戸時代には将軍家から500石という
武蔵国最大の
朱印地をいただいている
武蔵国の守り神として
この日も多くの参拝の方がいました
七.五.三参りの家族
お宮参りの赤ちゃんずれ家族
成人式の前撮りか振袖姿の若い方
よその家族の祝い事も
なんだかほっこり・・・
初孫の宮参りを済ませたばかりなので
なんだか、お宮参りの家族に
目が行ってしまう
かかあ天下です
それにしても人が多かった
この日は大安吉日でした
この神社は、
福神・縁結び・厄除け・厄払いの神様として
署名とのこと
人形と書いてひとがたと読む
紙の人形を小川に流すところがありました
やってみたかったけど
ツアーなので時間がない・・・残念
境内には、真っ赤なもみじが・・・
遅い秋を感じます
そんで・・・
境内には、梅の花が・・・
早い春を感じます
鳥居の横には大きなケヤキの木
この神社には新選組も来ていたとの事
新選組のファンの皆さんは触って行くそうですよ
私は、ファンでもなんでもありませんが
ミーハーなので
触ってきました
近藤勇さんが触ったかもしれない
ケヤキの木に笑笑
ケヤキ並木
1062年 源頼義・義家親子が苗木千本を
大國魂神社に寄進したもので
並木周辺の馬場は家康が寄進したもの・・・
そんで、今は
この並木の先に府中競馬場があります
はい・馬でつながりました・・・って
私のなかだけで笑笑
ここら辺に本陣があったそうです
札の辻 府中宿の中心
府中街道と交差する地点
角には高札場がほぼ昔のまま残っていました
14:20 高安寺
山門・本堂・時の鐘いずれも
立派なお寺でした
私、街道歩きを終えて
自分の撮影してきた画像やら
旅行社から配られたレジュメやら
甲州街道歩きの本2冊
頂いてきた神社・仏閣のパンフレット
もちろん当日に説明したくださった
講師の先生の
お話を思い出しながら
グログを書くわけです
このお寺の説明を読んでも
難しい言い回しで、私の少ない脳みそでは
なにがなんだか理解できん
父ちゃんが側にいたので
説明文と甲州街道本2冊読ませて
私に理解できるように
要約して、わかりやすい言い回しで
説明して欲しいと
お願いしてみた
父ちゃん一通り読んでから
「もともと平安時代からあった寺を足利尊氏が
建て直した寺だ」・・・って
うぉい
それくらいなら私だって理解できたわい・・・
「俺に理解できないことが、おまえにわかるわけがない・・・」
とも言ってる
ツアーに参加の皆さんって
全部理解できとるんかなぁ~~
もぉ
深く考えずにおこう
小学生向けのパンフレットを置いてほしいなぁ~~
境内にあった観音堂
疫病退散のアマビエの提灯が・・・
このアマビエもなかなか言葉に出て来なくて
「えぇ~~と、これなんだっけ・・・
アマエビでなくて~~~」って
大きな独り言、言ってたら後ろにいた添乗員さんが
アマビエですってお知えてくれた笑笑
心の中の思いをすぐに言葉にするおバカさんですが
同行のツアーの皆さんにはけっこう人気者・・・笑笑
おバカな人だなぁ~って思われているのかも
本陣の門
本陣はここではありませんが門だけここにあります
おそらく本陣を壊すとき
この家の方が譲りうけたのではないかとの
説明でした
15:00 マンホールの蓋
街道歩き仲間の中には
マンホールの蓋の画像を集めている方も
います
マンホールの蓋もご当地ものがあるので
街道歩きの記念になります
私はあまり画像を撮りませんが
カラーの綺麗な蓋だったのと
花子の好きな漫画だったので
写真を撮りました
百人一首がテーマの漫画ですが
府中と関係あるのかな???
本宿の一里塚跡 江戸から8番目
この一里塚跡って
NECの会社の中にあります
街道がこの会社の中を通っていたようです
守衛さんにご挨拶してから構内に入りました
守衛さんも付いてきます
一里塚の写真はいくら撮っても良いのですが
その他はダメって・・・
あたり前の話です
大きなアンテナがありましたが
その写真撮っていた人、注意されていました
15:50 熊野神社古墳
神社の裏に古墳があります
四角い墳丘の上に丸い墳丘が重なる
全国的にも珍しい古墳だそうです
16:00 谷保天満宮
湯島天神・亀戸天神と並び
関東の3大天神の一つ
我が家はやっと学生がいなくなりましたので
学業のお願いをしなくともよいと
思いましたが
思わず孫の小太郎の学業が伸びますようにと
お願いするばあばがおりました
まだ生後6か月です・・・笑笑
境内からは夕焼けに染まる富士山が見えました
ここから保谷の駅までは10分位でした
甲州街道4回目歩き終えました
甲州街道は石和まで順番通りに予約が取れてます
石和歩きはは9月です
下諏訪ゴールは
来年の今ごろになるかな~~
実は私の地方にも お坊さんが自ら人柱になり地滑りを止めた という逸話があります
上越市板倉区 人柱供養堂 というものがあります
母の実家の近くでした
こんな話に出会いますが、
本当だったんですかねぇ?
でも、そんな話が残っていると、
ここは、地滑りに注意だなって、
気に留めますね!
昔の人の知恵だったのかもですね!