今日は日本空港123便の墜落した日です
この日は夕方に飛行機がレーダーから消えたという
ニュースが流れたものの
どこに行ってしまったのか
落ちたのか
なかなか、正しい情報が流れませんでした
落ちたらしい
しかも、群馬県・・・
長野県との県境の御巣鷹山でした
それからが、大変でした
県内、病院の医師、看護師は上野村の中学校遺体安置所に
駆り出されました
当時、私は新米ナースでしたので
お手伝いに行くことは
ありませんでしたが
30歳代の中堅看護師は
毎日、交代で1週間くらいだったかなぁ~~
10日間くらいだったかな~~
毎日、お手伝いに行ってました
遺体と言っても
損傷が激しく・・・
大変なお仕事だったようです
お仕事の内容も先輩方から聞きましたが
ちょっと、文字にはできない・・・
毎日、先輩看護師をバスで上野村まで送迎していた
バスの運転手さんが
仕事を終えた看護師たちをバスに乗せると
ものすごい悪臭であったと話していました
この暑さの中での遺体のお世話・・・
壮絶なものだったと思います
毎年、この日になると
当時を思い出します
この事故ってか、
日本航空と実存する社員の体験を脚色したフィクションの
「沈まぬ太陽」とゆう小説を
山崎豊子さんが書いてます
私は、本読み苦手なので
ドラマで見ました
フィクションとは言え
実存する人物の体験によるものなので
現実の話に見えてしまいました
事故後の遺族との交渉も大変だったのですね
パイロットのご家族も大変でしたね
墜落してしまったことは、パイロットの責任だけでは
ありませんから・・・
こんなことを書いても良いのやらですが
もし
もし
この飛行機が、もう数キロ先の高崎の市内に
など、墜落していたら・・・
と、思うとぞっとしてしまうのです
御巣鷹山だったからよかったと
ゆうわけでは、決してありません
パイロットさんのボイスレコーダーを
聞くと、すごく頑張ってくれていたことが
うかがえるので・・・
この事故
航空事故の死亡者数としては
今だ、世界最多です
今はコロナで
航空会社も大変なことになっているのでしょうが
今日の日を忘れないで
空の安全を守ってほしいと思います
123便の事故は当時10歳でしたが鮮明に覚えています。ちょうど父が前橋の日赤に入院していた時でした。
色々な本を読みましたが、遺体の身元確認班長だった警察官の方が書かれた「墜落遺体」という本は衝撃的でした。
もう少し早く救助に行けたらまだ助かった方がいたのでは…と今でも思ってしまいますね。
こんばんはー
やだ、ぼくぺんさん
若い!
私は当時、もう働いてました。
おばさんのブロ友さんに、
なってくれて
ありがとうです。
そうなの!
墜落現場の特定が遅かったみたい!
いろいろなこと言ってる人がいて
墜落現場は、もっと早くわかっていたのに
隠していたと言う人もいます。
墜落の原因も、発表されている事と違うと言う人もいますね!
お手伝いに行った医師の仕事は、
細かな骨を、警察の方が持ってくるので
その骨は、どこの部分の骨なのかを
伝える仕事だったようです。
地元で大きな事故があるとナースのお仕事は大変でしょうね💦夏場の事故、災害本当にたくさんの人のご苦労が伺えます。
ご遺族の慰霊登山も年々高齢になり、この暑さ大変です。
「沈まぬ太陽」読みましたよ。圧巻ですね。取材力と熱量、文章力、時代を越えて山崎豊子さんは巨匠ですね。
近くに住むカミさんの友達のご主人が、毎回東京出張の折はあの便で帰ってきていたので、てっきり事故に巻き込まれたと思っていたところ突然帰ってきたので、幽霊だとビックリしたそうです
前の便に空席が出来乗り換えたそうです
リタイアしてからそのご主人と友達になり
「あんたは運が強い、絶対長生き出来まっせ」と言っていたのに去年がんで亡くなってしまいました 残念です
こんばんは!
沈まぬ太陽!
ドラマ見てても、複雑でわかりずらい所ありました。
とても、本では理解出来なかったかもです。
この方!
大河の一滴も書いたひとですよね!
私はそちらもドラマで見ました。
こんばんは!
この飛行機に乗る予定の人が乗らずに
この飛行機に乗らない予定の人が
乗っていたりと
なんとも、複雑ですね、
お笑いタレントのさんまさんも
この飛行機に乗る予定だったのに
一つ前の飛行機に乗ったそうです。
この事故以降
さんまさんは
出来る限り、新幹線での移動をしているそうですよぉ〜
人生の中で
運で、
左右される事もあるんですかねぇ〜〜