雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

東海道 鈴鹿峠

2019-10-02 14:15:00 | 東海道
いよいよ、鈴鹿峠越えです。

皆さんで、峠越えの準備!




なんの準備って、ヒル対策です。
首元からの侵入に備えてフード付きシャツ
足元からの侵入に備えて、
フットカバーやら、
ストッキングで、足元をガード
靴からの侵入に備えて、ガムテープ




私、フード付きシャツを着て、
ハイソックス履いて
ズボンの裾を入れ込みました。
足首はガムテープで固定
こんなんでした。

添乗員さん、
ズボンの上から、靴の上から
ストッキング履いてた。
超〜〜笑える
なんか、峠越えというより
怪しい軍団です。
準備万端!
登りましょう!
江戸時代の方々のヒル対策って
どんなんだったんだろうか?

片山神社




江戸時代は、鈴鹿権現と呼ばれ、
往来する多くの方々の信仰を集めました。
東海道は、この辺りから、
鈴鹿坂
「8丁27曲がり」の急坂が始まります。
「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」
と、言われた、鈴鹿峠の始まりです。

ワクワク、ドキドキ!





灯籠坂





片山神社から先の急な上り坂には、
灯籠が並んで、設けられており
灯籠坂と呼ばれています




馬の水飲み場跡




峠は、人間だけでなく、
お馬さんも越えたわけで、
ここで、水分補給をしたようです。
参勤交代時など、
たくさんの荷物を背負わされ
お馬さん達も
さぞや、お疲れだった事と
思います。

峠芭蕉の句




「ほっしんの初に越ゆる鈴鹿山」

意味は、どんなんかな!
芭蕉の句集には、ないとゆうから
本当に、芭蕉が読んだかどうか
わからないのかも!

峠の茶屋跡




鈴鹿山頂、伊勢と近江の国境には、
六軒の茶屋があり、
峠を往来する人々で
賑わっていたそうです。
現在でも、
当時の茶屋の石垣が残されていました。

山頂とゆうより、
坂下宿から、
登り始めて間もなくという印象でした。




昔を思わせる石畳み!
これは、当時のものでないと思います。
なんの説明もなかったから!

でも、たくさんの人が
踏みしめたであろう事は、なんとなく
想像できます。
石の丸みと苔が良い感じです




ひたすらに、歩を進めます。




もうすぐ山頂!

講師の先生のおっしゃる通り
箱根峠の10分の1の難易度でした。

箱根峠は、登りに丸一日かかりましたので

鈴鹿峠は、わずか40分程で、
山頂に着きました。








万歳〜〜って、
超〜〜デブに見える
全身モザイク、かけましたが、
デブは、隠せない泣!

記念なので、貼り付けておきます。

さてさて、下山です。




皆さん、この石標の撮影してます。





これより右、近江の国 滋賀です。
伊勢の国、三重県を終えました。

万人講常夜灯 まんにんこうじょうやとう




峠を越えた所に、自然石積んだ
大きな常夜灯!
江戸時代に、金毘羅参りの講中が
道中の安全を祈念して、
建立したそうです。

ここで、坂下宿で、お借りしてきた杖を
返す所がありました。




結局、お借りして良かったです。
ありがとうございました。

さて、ここで、皆さん
ヒル対策、衣装を脱ぎますよぉ〜

ヒルなんて、見たことありません。
自分が、刺されるの嫌だけど
ヒルとやらを、見てみたいと思ってました

どなたか、刺された方は、
いらっしゃいませんかぁ〜〜

おぉぉ〜〜
おヒル様、
こんにちは!




いたいた、
私の靴ではありませんでしたが
同行の方の
靴に、貼り付けていたガムテープに
くっついていました。

初めましてで、ございます。

幸い誰も、血を吸われた方は
いませんでした。
あれだけ、対策したのですから、
私達、人間の勝利です。

私は少し、ヒルに献血しても、
良かったのですが笑笑

ここからの下り道は、急坂はなく
なだらかな
お茶畑が広がっていました



道路標識も滋賀県!甲賀市に入りました。

鈴鹿馬子唄では、
「坂は照る照る、鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」

と、歌われているそうで、
鈴鹿峠を挟んで、坂下と反対側の土山とでは、天気がガラリと変わったようです。

と、ゆうことで、馬子唄通り
峠を超えたら
雨が降ってきました。




なんか、すごくない!
馬子唄通りよ!
雨も☂️☔️☔️楽し!・・・です。

山中一里塚跡




109個目です




東京から437キロ
京都まで後55キロだぁ〜〜

ずいぶん歩いた
そして、京都が近くなって来た

猪鼻村




50戸程の家が並び、草餅や強飯を
売っていたそうです。

赤穂浪士、大高源吾の石碑




仇討ちに江戸に向かう途中に詠んだ歌
ってことかなぁ〜〜

「いの花や 早稲のもまるる 山おろし」
どんな意味!

わかんなぁ〜〜い

明治天皇聖蹟碑




明治天皇がお休みになった旅籠って事かな




猪鼻村を後に、
土山宿に向かいます














 















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2 コメント

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リアル (旅は道連れ)
2019-10-02 21:34:53
こんばんは。
旅番組では良いところばかり放送しますが、たくさんの裏側を見せてくれました。
良い参考になりました。

いつか私も、足首にガムテープを巻いて歩くのですかね・・・
私も山が好きでよく雑木林などに入りますが、蛭には一度も遭遇したことがありません。
一緒に歩いているような気になりました。
楽しいレポートありがとうございました。
返信する
Unknown (kakadenka1023)
2019-10-02 21:57:34
旅は道ずれさん
こんばんは!
少々、大げさなヒル対策だったと
思いますよ!
でも、講師の先生が
きちんと、参加者にレクチャーしないと
あとで、参加者からクレームを
言われるそうです。

私達の後方から、
個人で、歩いていた、ご夫婦!

私達の重装備に!
何事ですか?と訪ねてられたので
ヒル対策です。
って、お話したら、びっくりしてました。
自分達は、なにも、知らずに登って来たと
おっしゃてました。

でも、まぁ〜〜
旅の良い思いでに、なりました。

鈴鹿峠は、冬は、よく雪が降るようで
冬場の峠越えは、
雪対策と、先生が言ってましたよ〜〜

旅の道ずれさんは、
ヒル対策か、
雪対策か
どちらでしょうかねぇ〜〜

楽しみですね!
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