赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です
今日は友達とランチ!
寒いので近場の完全個室のお店に
しました。
おしゃべりするだけだから
限定15食の
愛禅御膳!
食べられてよかった
5年くらい前にパソコン教室で
知り合った人です。
家族構成やら、
職業やらが同じで
家も近く
時々ランチします。
なにより彼女は、
沖縄出身なんです。
我が家は父ちゃんが沖縄出身なので
色々と沖縄話しもできて楽しいです。
今日は沖縄から送られてきたと言って
お餅と油味噌いただきました
父ちゃん喜んで食べてました。
女性は、喋る事でストレス発散できます
お互いにストレス溜まってくると
どちらからともいわず
ランチとなります。
今日のおしゃべりで、
2カ月程は頑張れると思います。
手土産持って、
ご挨拶に行かなければならない
お宅があって
昨日行ってきました。
グンマーの手土産!
何もないのよねぇ〜〜
名物らしきものが・・・
群馬県民のソウルフード
焼きまんじゅうがありますが
初対面のお家の手土産には、
ちょっと不向きな感じがします。
で、やっぱり落ち着くところは
ハラダのラスクなのよねぇ
ガトーフェスタハラダのラスク
群馬に本店があるというだけで
別に、全国どこの百貨店でも
買えるのよ
特別、群馬の土産って
感じではないのだけれど
まぁ〜〜
無難なところです。
風呂敷に包みました
一緒に持っていく
一升瓶も風呂敷に包みました
紙袋でお持ちするのも良いですが
なんか、風呂敷に包むと
グレードアップした感じで
素敵です。
訪問先の方も
とても喜んで下さいました。
よかったよかった。
父ちゃんは、初めてのお宅での
ご挨拶に、
かなり、緊張していましたが
無事にお話が進み
やれやれです。
帰りに太郎のアパートに寄ってきましたが
太郎アパート近くの両さん
と、思わずガッツポーズでした。
お酒飲んでいません。
シラフです。
よくやるわぁ〜〜
日坂宿
小夜の中山峠へと坂道が続きました
街道の真ん中に置かれた石は
夜泣き石と呼ばれています
かつて、この石のそばで
妊婦さんが山賊に襲われて
命を落としましたが
赤ちゃんは、無事で
近くの久延寺の住職に飴を与えられて
元気に育ったそうです。
しかし
石からは毎晩鳴き声が聞こえたという
お話が残っています
この辺りの茶屋では、
この住職が飴で赤ちゃんを育てた事から
水飴や飴を
「子育て飴」と称して
販売し、名物となったそうです。
浮世絵にも描かれている
街道のど真ん中の夜泣き石は
明治天皇が通行する際
邪魔であると街道から撤去され
赤ちゃんを飴で育ててくれた久延寺が
買取し境内に移されたり
しましたが、その後
色々と移され
今は、小泉屋という飴の
お土産やさんの
裏山に保存されていました
この飴やさんの裏山に
夜泣き石がありました
そして、
我が家の子供達大きく育ってますが
もちろん
子育て飴かってきましたよぉ〜〜
水飴!
そのまま食べても良いし
大学いもなど、料理に使っても良いようです
もち米と麦芽で作った水飴をさらに煮詰めて
食べ易い飴玉にしたものもありました
物語を聞いてからの
飴です。
優しい味でした。
日坂宿の最後は
「事任八幡宮」
なんて読むの?
読めないわぁ〜〜
ことのままはちまんぐう
「願いのことのままかなう」
だって
なんでもお願い事聞いてくれるのね
なんて太っ腹な八幡さま!
願いはたくさんありますが
究極のお願いと言ったら
健康ですかねぇ
元気で過ごせますように
手を合わせてきました
天然記念物の大杉
まっすぐな杉に、姿勢を正しました。
東海道21回目は、ここで終了です
金谷宿
大井川を渡り終え、金谷坂、菊川坂、
小夜の中山の難所を、控えた交通の要衝
大井川橋を渡り、ホットしたのもつかの間
金谷峠を越えます。
この峠は粘土質で、ぬかるんだので
石畳の道となっています。
戦後は舗装されたそうですが
金谷町民の1人1石運動で
石畳が復元されたそうです
石畳の道を登り始めるとすぐにお茶屋さんです
天気良く、
富士山が薄っすらと見えました
富士山に見送られて
石畳登ります
途中には、こんなお地蔵様も
受験生の絵馬がたくさんあった。
私はとにかく、滑らず峠を越えられますよ
手を合わせました。
金谷坂の石畳を登りきったら
諏訪原城跡です。
堀や井戸が残っていただけでした
山城では、食料よりも水が大切だったんだって
諏訪原城は、山城です
ここから、朝渡ってきた大井川橋が
見えました
随分高いところまで登ってきたようです
諏訪原城跡からは、まだまだ
坂道です。
江戸時代からの石畳が、
161メートル程残っています
なんか丸みがなくて、
江戸時代から、踏み固められた石って感じです
江戸時代の人も
確かにこの石畳を踏みしめた感じが伝わります
久延寺
この日は、ここでお弁当
金谷峠、菊川の石畳を越えてきましたから
お腹ペコペコ!
美味しかった!
お腹もいっぱいなり
中山峠です。
箱根峠、鈴鹿峠とともに
東海道の三大難所を進みます
尾根道からは、
周囲一面のお茶畑
静岡は、やっぱり
日本一のお茶どころなんだなぁ〜〜
100g.500円くらいのお茶しか飲んだことない
小夜の中山の長閑なお茶畑を見ながら
歩いていたら
なんだか、美味しいお茶が飲みたくなった
今年の新茶は、
奮発して、上等なお茶を飲んでみようと
思いました。
島田宿
宿の西側には東海道一の大河!大井川があり
時々、川留めとなったため
宿場は、多いに儲かり島田宿は、
裕福な宿場だったそうです
本陣、脇本陣跡!
今は何も残ってない!
大井神社
洪水を鎮め安産をもたらす神社だって
3年に一度の帯祭りってのが、
有名みたいです。
博物館で雰囲気だけみました。
この、お人形顔が、
日本人離れしてる笑笑
大井神社の御朱印
川越の始まりと終わりを告げた大善寺の鐘
この鐘がなったら、
旅人さんたち、川を渡り始めたのね
この大井川!
江戸を守る為の軍事的理由と
架橋技術が未熟だったため
架橋出来ず。
渡し船も禁止されていたので
人足の方にお金を払い手伝ってもらいながら
徒歩で渡ったのね
肩車とかもあったみたい
お金払えば、
連台に乗って、渡れたのよ
川越人足の方々が、集まっていた番屋が
残っていました。
川越制度は
明治3年に廃止されるまで
170年も続いたそうです。
この日のお昼は
お弁当でした。
前回の藤枝宿に残る
名物、染飯!
染飯とは、
強飯をクチナシで染めて
鮮黄色のおこわの事だそうです
ちょっと、硬かったけど
腹持ち良さそう、
バリバリ歩けそうな気がしました。
綺麗に黄色に染まったおこわでした