お陰様と言う人が少なくなった。
死語なのだろうか?
私も含めて多くの人が自分の力を過信しているなか、消えてしまったのか。
それを思い知らされたのが、2011年の東日本大震災であった。
その時に有って当たり前の生活インフラが脆くも崩れた。
そして誰かのお陰で便利な社会が成り立っていることが分かる。
その少し前には早期退職制度が定着して、終身雇用が昔のものになった。
少子化も後押しして、労働力を補うためにも家計を助けるためにも、多くの主婦がパートにでるようになってきた。
そして専業主婦の母親はかなり減ってきた。
無くなって初めて分かるのは、独力で生きているのでは無いという事。
しかし無くなって気付くのでは遅い。
そして昔の家族の形が崩れてきて久しい。
まず生かされていると、日常のどこかで感じ、感謝の気持ちが無いのは寂しい事である。
いつの間にか日本も物の文化に変わり、心は乏しい社会になった。
ながらスマホのように、自分のためだけに精一杯で、他人を思うことは少ない。
人命も軽くなり、自分の感情だけで他人の命を奪うことが増えた。
それは加害者と被害者の両方の家族を悲しませる事になる。
子供達の楽しい夏休みが始まる7月なのに、なんて悲しい事件が多いのだろうか。
無事に平凡に暮らしていける今、この時を感謝したい。
明日は判らないのだから。
そして人はお陰様で生きているという事である。
死語なのだろうか?
私も含めて多くの人が自分の力を過信しているなか、消えてしまったのか。
それを思い知らされたのが、2011年の東日本大震災であった。
その時に有って当たり前の生活インフラが脆くも崩れた。
そして誰かのお陰で便利な社会が成り立っていることが分かる。
その少し前には早期退職制度が定着して、終身雇用が昔のものになった。
少子化も後押しして、労働力を補うためにも家計を助けるためにも、多くの主婦がパートにでるようになってきた。
そして専業主婦の母親はかなり減ってきた。
無くなって初めて分かるのは、独力で生きているのでは無いという事。
しかし無くなって気付くのでは遅い。
そして昔の家族の形が崩れてきて久しい。
まず生かされていると、日常のどこかで感じ、感謝の気持ちが無いのは寂しい事である。
いつの間にか日本も物の文化に変わり、心は乏しい社会になった。
ながらスマホのように、自分のためだけに精一杯で、他人を思うことは少ない。
人命も軽くなり、自分の感情だけで他人の命を奪うことが増えた。
それは加害者と被害者の両方の家族を悲しませる事になる。
子供達の楽しい夏休みが始まる7月なのに、なんて悲しい事件が多いのだろうか。
無事に平凡に暮らしていける今、この時を感謝したい。
明日は判らないのだから。
そして人はお陰様で生きているという事である。