★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

ブログを読んでもらって、癒されていたのね~

2012-08-10 20:45:40 | かんちゃんの今日
ひとつ前のブログに「自分の話を聞いてもらって癒された」という話を書きました。
書いていて気が付いたのですが、
自分の話を人にほとんどしない私は
このブログが自分を語る唯一の場なんですね。

そんな私のブログを読んでくれている人がいるというのが
私にとっては癒しになってたんだなぁって
今日、気が付きました


読んでくれているみなさん、ありがとうございます

話を聞いてもらうって心底癒されるんだね~

2012-08-10 20:01:13 | かんちゃんの今日
私は職業柄、そして性格上、人の話を聞かせてもらうことは多いですが、
自分の話をするということはほとんどありません。

働いている時からずっと「聞く」練習をしてきました。
だからなのか、逆に自分の話を聞いてくれていないのを瞬時に感じ取ってしまいます。
「この人、私の話を聞いてくれていないな。」と思った瞬間、自分の話はやめます。
話を聞いてもらえないと妙に傷つくので、
傷つかないように話すことをやめてしまうんですね。

だから、自分の話をちゃんと聞いてもらう機会って、
結婚してから全くと言っていいほどなくなっていました。
学生時代はよく友達と語り合ったけど    



今日、耳鳴り・難聴の治療に行って、

自分の話を聞いてもらうって、こんなに癒されるものなのぉ

話したら楽になるって、本当なんだ~って思いました。
初めての経験でした。

そこには何の否定もない、
何の不安も恐れも身構えもない・・
なんとも温かく、楽しく、居心地のいい空間に身を置いていた感じ。
そんなにしゃべる方ではない私が、
自分の話を今日初めて会った人にベラベラと
こんなにもしゃべってる
とっても不思議でした。
この人ならちゃんと聞いてくれるという安心感が、
私をあんなにおしゃべりにしたのでしょう。
先生は穏やかにご自分の話も交えながら
決して相手に押し付ける「どうやー!」っていう話じゃなくて、
私の今の心に栄養を与える、
問題のカギとなるのにピッタリの内容の話をしてこられるんです。
それがまたあまりにピッタリなので、
やっぱりこの人はちゃんと聞いてくれて、わかってくれている、
そういう気持ちにさせるんですね~。
この安心感がリラックスであり、癒しなんですね~。

聞き方の勉強にもなったし、
話を聞いてもらう喜びを体験させてもらい、
世界が広がりました

感謝です

原因は緊張!

2012-08-10 18:54:25 | 難聴・めまいとの激闘日誌
久しぶりに難聴と耳鳴りの話題です。
今日、大阪の十三にあるアステル心身調律院に行ってきました。
いろいろ、いろいろためになるお話を聞かせてもらい、また私の話を聞いてもらい、体もほぐしてもらい…。
行ってよかったです!


まず難聴と耳鳴りの仕組みを教えていただきました。

難聴や耳鳴りだけでなく、肩こりや腰痛、不眠やめまい…
さまざまな症状の元は緊張からくると。
緊張はどこからやってくるかというと不安や心配、恐怖、怒り
そういうネガティブから来ると。
そして症状があらわれているということは発散しているということだから、
発散が終われば自然と症状は治まるはず。
なのに治らない、というのは症状に対して執着を持った時。
耳鳴りがなっているかどうか確認してみたり、気にしていたり、「自分は耳が悪いから」と思っていたり。
執着するとまた不安や恐怖が襲い、症状が悪化する…
その悪循環の中にいるようです。


難聴は・・
 耳には大きな音を聞くときには音を絞るように、静かなところにいる時は音を大きくする、自然とそういうことをしているのだそうです。
 その調節機能が固まってしまっている状態。つまり音を絞った状態でロックがかかってしまったようになっているのだそうです。

耳鳴りは・・
 実際になっているのではなく、音の記憶なんだっていうんです!もう目からうろこです。自分で一生懸命、音の記憶を反復させているようなんです。
 (そういえばあの耳鳴りのザーッという音は宇宙音だって聞いたことあるなぁ。関係あるのかな?)


次は大元の「緊張」をほぐすための施術。
マッサージをしながら心ほぐしです。
色々話をして、聞いてもらって、
心も体も本当にゆるんで、癒されました。


もう一つ大事なのは
「まず受け入れること」なんだそうです。
耳鳴りがしていても、聞こえなくてもいい、
そう受け入れるだけで発散するんだそうです。
耳鳴りが気になって仕方ないのを紛らすために、何か他のことをする…
それは受け入れているのではなく、耳鳴りを気にしたい欲求を抑え込んでいるだけ。
受け入れることで解消していくんですね。


本当に、今日は勉強になったし、癒されたし、最高の一日でした。



余計なおせっかいは自己中!

2012-08-10 08:32:28 | チョコッと人間関係学講座
看護学校の講師をしているのですが、
ここ数年の授業のテーマは
「自己中心的な人間から抜け出そう!」です。

何が自己中な行動なのか、いろいろ例を挙げて説明しています。
その中で結構「意外」と感じる学生さんたちが多いのが、
「余計なおせっかい、余計なお世話」です。

「できるならした方がいいんじゃないの?!」
そう思っている人もいるようです。

でもそれは間違い。
余計なお世話を焼いて喧嘩になった経験、皆さんもあるでしょ。



余計なお世話は成長しようとする相手の魂を汚します。
そして自己満足でお世話を焼く人の魂も傷付けます。

余計なお世話をされた人は
「そんなことしてくれと頼んだ覚えはない!」と反発するか、
「してくれて当たり前」と人をアテにするようになるか
どちらかです。


お世話を焼くときには
相手が自分ひとりの力ではできないことをそっと手助けする・・
「私はやってますよ!」なんてアピールするものではなく。


「「余計」なのか「余計でない」のか、どう判断すればいいですか?」
という学生さんからの質問がありました。

判断基準はただ一つ。
「相手と自分の魂を成長させるか、汚すか、その一点です。」
質問をくれたその学生さんなら「魂」という言葉を使っても受け入れられるだろうなと思って、
そう返事をしました。
すると「長年の疑問が解決しました。腑に落ちました。」という返事が返ってきました。


もう一つ、余計かそうでないかのわかりやすい例があります。

あるお家はおじいさんと長男家族が住んでいます。
その長男のお嫁さんは掃除が嫌いらしく、
いつも汚い、
そのことを二男のお嫁さんは行くたびに気になっていたようです。

さあ、あなたが二男のお嫁さんなら、
気になっているベタベタした床を拭いてきますか?
それとも触らずに放っておきますか?

この時掃除をしたり、床を拭いたりするのは「余計なお世話」なんですね。
二男のお嫁さんが余計に手を出すことで、
その家に住んでる人は今度、
二男のお嫁さんが掃除してくれることをアテにするようになる・・
本人たちに任せておけばいい!


この話を聞いたとき、なるほどと思いました。
アテにするようになるとトラブルが起こる・・
なんでやってくれないのか!?となる・・
できるのにやらない本人の魂の退化にもなる・・
いいことは何一つないのです。

余計なお世話がトラブルを招くんです。

トラブルメーカー、トラブルにいつも巻き込まれる人は
自分が行動する前に一呼吸おいて、
これは本当に相手が心からしてもらいたいと望んでいることなのか、
そして本人が一人でするには難しいことなのか、
考えてから行動するようにしてみてはいかがでしょう。
トラブルはグッと減りますよ。


世話好きで、余計なお世話を焼く人を心温かい人
と思っている人もいるようですが、
大きな誤解なんですね。

余計なお世話は自己満足に過ぎない、
自己中心的な行動なんです。