厚生労働省委託事業である緩和ケア普及啓発活動の市民公開講座に行って来ました。
写真は資料が入っていたエコバック。
患者さんに元気が出るようオレンジの風船がデザインされています。
緩和ケア…
K君、最後は大阪成人病センターのT先生が「緩和ケアに切り替えた方がいいのでは?」と提案してくれたおかげで、それまで痛み止めもらったり輸血するために通っていた病院と決別する決心がついたのはちょうど一年前。
それからは訪問看護の在宅医療で緩和ケアをしていたから、わたしにとっての緩和ケア→終末期医療のイメージがあって、本当にそういうものなのか
いつからは人は緩和ケアをはじめるのか
緩和ケア=もう治療不可能で死を待つための人のものなのか
…そのあたりがよく分からなかったので今回参加してみました。
今さらだけど。
でもやはりそういうイメージの人(緩和ケア病棟=ホスピスの印象が強いため?)が多いらしく、それを払拭するための講座のようです。
今や日本人のふたりにひとりはがんになる時代だそうで、がんも増えたけど、医療の進歩もあって、がん=死病ではなく、がんと共存して生きていく時代。
(それでも5年生存率は60パーセントとか聞いたから、やっぱりコワイ)
だから、がんに伴う直接的な痛み等はもちろん、社会的経済的な不安も取り除きつつ、がんであっても「健康的」な生活を送れるようにするのが緩和ケアだそうです。
イギリスではがんと言われたら、治療と同時にほとんどの人が緩和ケアを始めるのに対し、日本ではまだまだだそうで、それはわたしが持っていた「緩和ケア」のイメージをみなさんが持っているからのようです。
わたしはK君のことを思い出しながら話を聞いていましたが…。
確かに情報不足で、起こったことに対処していくしかなくて、主治医のいうことに従うほかなかったけど
緩和ケア専門の在宅医療に切り替えてからは、もっと気軽にいろいろ聞けたし、K君の体と心のケア、そしてわたしのこともいろいろ心配してくれ
そこから訪問の歯科医師や、区の障害者福祉課やヘルパーさんとのやりとりも手伝ってくれて、いろんな世界が広がりました。
痛みだって、K君も最初は医療用麻薬にすごく抵抗があったみたいだったけど、段階的に飲み薬→張り薬→併用して注射と、うまく量をコントロールすることで、通院していたときはいつも痛い痛い、とつらそうだったのが穏やかになったのも本当にうれしかった…。
(それぞれの薬の役割も今日話を聞いてへ~と思いました)
知っているのと知らないのとでは、そのとき出来ることに大きな差が出ます。
それは今日のお話でも出てたけど。
わたしは本当に無知だったから今さら公開講座に参加したのだけどね…。
でも本当に今思うと、
K君はわたしが苦手な役所関係のことに詳しくて、高額療養費とか障害者手帳の交付(等級の変更もしたし)、障害年金の申請等、問い合わせや書類集めを全部自分でしたし(最後はわたしが提出行ったりしたけど)
わたしはK君が結婚2年目の手術のあと、なんとかならないかと大阪の成人病センターの先生に相談して受診したし(その先生との出会いが要所要所でキーポイントになりました)
病気って人生における未知の体験をするわけだけど、その時その時お互いに役割をもって行動的になれたんだな~と、なんか改めて思いました。
もうK君はいないけど、あらためて
ふたりでよく頑張ったね~
と、K君とお互いに褒めあってバカ夫婦したいな~と思ってしまいました(^^;)
それにしても、通院していた病院からは緩和ケアの提案はなかったわけで、あの時期にT先生に診てもらわなかったらどうなっていたのかな、と怖くなります。
自分でそろそろ緩和ケアを、と、気付いて言わなきゃいけなかったのでしょうか。
患者側が緩和ケアの知識を深めるのはもちろんのこと、医療機関側にももっと啓発してほしいと思いました。(…とアンケートに書きました)
医療機関の規模とか設備、相談員のいる部署があるかにもよるし、そういうのがない場合、囲い込んだ患者を他の医療機関にとられてしまうからあまり積極的ではなかったのかな…なんてうがった見方もしてしまったり…(´`:)