飛鳥を巡る「飛鳥寺を上空から見る」 2009年08月21日 | Weblog このあたりは当時、真神原と呼ばれていて、狼も多く生息していたが現代同様土地開拓され当代一の都となった。「故郷の 飛鳥あれど 青丹よし 奈良の 明日香を 見らくしよも」という大伴坂上郎女の歌であるが奈良時代の人々にとって、飛鳥とは「古都・飛鳥」を広く漠然と指していた言葉だった。(画像・文とも日本の古代遺跡・奈良飛鳥より) (今日の歴史=1862年鹿児島藩士らによる生麦事件が起こる)