持統天皇は、天武天皇が晩年計画した新しい王宮「藤原京」を建設し694年にまだ完成はしていなかったが遷都する。平城京へ遷都するまでの飛鳥における最後の宮。なお平城京は中国・長安城をモデルとしたと云われているが、最近平城旧跡南部発掘の結果、平城京造営は南北十条まで造られていたことがわかり、「藤原京がモデルとしたのではないか」とも言われているが、「十条は藤原宮から運び出した建築材の集積場」など、いろいろな見方があり意見が分かれている。
(今日の歴史=1956年ソ連と形式的に戦闘状態が続いていたが、一応仲直りの調印をする)
(今日の歴史=1956年ソ連と形式的に戦闘状態が続いていたが、一応仲直りの調印をする)