西求女塚古墳を見学して後、旧西国浜街道に出る。この辺りは「菜の花は灘区の歴史とゆかりが深いことから、灘区民まちづくり会議において、「菜の花」が灘区の歴史の花に決まりました。灘区では、菜種油用の菜の花の栽培が盛んに行われていました。菜の花がたくさん咲いていたことは、与謝蕪村の俳句(40P参照)にも詠われています。現在では、地域の人びとによって都賀川ぞいに菜の花を植える”菜の花のみち”づくりや、灘浜緑地で菜の花まつりが行われています」と(http://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/rokko/study/toga/tog-b_2.pdf)にある。説明板が読みづらく、また周辺空地のところどころにしか菜の花は見られなかったのは寂しい。