本来の古墳巡りに戻る。悲恋伝説がある。1人の美しい娘をめぐり2人の男性が火の中でも水の中でも戦いを繰り広げた。思い悩んだ娘は自ら命を絶った。それを知った1人の男性はすぐに娘の後を追い、また負けてはならないともう一人の男性も後を追った。3人の死を嘆き悲しんだ親戚の人々は娘の墓、処女塚古墳を、西に西求塚古墳、そして東に東求塚古墳を造り葬ったとされている。西東の求女古墳はそれぞれが中央の処女塚古墳の方向を向いているのが伝説を一層湧き立たせている。処女塚交差点南東に小高いところにあるが、一見して古墳とはわからない。多くの古墳は山を利用して作られているが、処女塚古墳は平地に砂と粘土を順序良く積み上げて築成された、標高約8m、墳長約68mの前方後方墳でほぼ南向き。年代的には西求女塚古墳より少し新しい。出土土器にはやはり山陰地方の形や文様が見られ、築成は3世紀末か4世紀初め頃と思われている。