か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

そんなら歌うな。

2013年03月26日 | 韓国

東洋の犬猿たちはどうしてこうも二律背反的世界観を許せないのか。

韓国の「市民運動家」や日本の偏狭ネトウヨたちのことだ。しかし気合が入ってないヘナチョコであることには両者変わりはない。安倍が一言TPP交渉参加を決めると交渉参加自体に反対していた右翼は静かになる。一言も発しなくなる。こういうのを言いなり小僧という。

韓国も催涙弾の2,3発も飛べばいい。発がん物質を混ぜた世界最強の催涙弾には僕はとても困った。死ぬかと思った。僕はヘナチョコですから何も言いませんと心に誓った。

僕は両国の中間の立場に立とうとするのではない。両者をバカだと言っているのでそれはいずれ論じる。ただ面白くない。

反論も地面をひっ掻いて興奮する意見が多く不愉快だ。たいていその地面には糞が付いているぞ。

「そんなによかったら韓国に住め」とか「売国奴」とか「非国民」とかいわれる。バカ。よほど無能な人生を歩んできたらしい。無能はそれくらいで止めろ。しっかり治療すれば無能は進行しないところまでできる。素晴らしい痴呆改善薬もできている。

両国関係がそうであるように、僕にとっても日韓は二律背反の世界であった。10年韓国に居れば気絶するほどの思い出が重なる。日本でもそうだ。

とくに外国経験のない人でも、国内での人生は矛盾に満ち、割り切れない決断をし、悲しい思いの中で苦しんできたはずだ。

上に書いた言いなり小僧の能天気でない限り人生は悔しさと我慢の連続だ。

ビビンパがどうだユッケがどうだというだけの思想のない低能料理を見ているとその鍋で料理人を煮たくなる。しかし読者の期待もビビンパ料理にしかない。表層の事柄にとらわれ、僕が苦労して書く文章に中身までは立ち入らない。表面的、せつな的、低能、浅い笑い。

二律背反とは割り切れないということ。同じ人が親として子供に正論をいい、その人の親に向かってはけっこう甘えた発言をする。そんなもんだ。突出した韓国人の行動は韓国内部でも顰蹙を買っている。一つに割り切れる話はあまりない。

今日はその片方だけ言おうと思う。韓国のカラオケを楽しんだ人は多いだろう。それはあんまり楽しくない。みすぼらしい地下室にガサツに機械がならべてある。僕は歌わない。ばか。個室になって日本の歌があってテーブルに乗りきれないオードブルが出て綺麗なお姉ちゃんがいて、という韓国のしきたりを守ってもらわないと困る。困るというのはカネを捨てるだけになるからだ。それらがちゃんとないと面白くない。だがソウルは貧乏学生が多く設備が悪い。画面が狭い。字が小さい。

4,50キロ離れた街に行くとなかなかそこはDeep Koreaだ。生バンドが入りステージがあり腐っているようなハムがつま楊枝でキュウリを包んでいる。これに下痢をしなくなると体のDNAがKorean Styleに変化する。歌の点数はただ大きい声を出せばよい。このおおざっぱ簡単単純もいいもんだ。そして12時を過ぎると必ず外のケンカが部屋になだれ込んでくる。なかなか強いぞ。実戦仕込みとはこのことだ。ま、それも面白い。


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