か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

アホには選挙権はいらんだろ。

2013年03月23日 | 社会・経済

どうせ間違った投票しかできんのだから、下手をすると共産党に入れるかもしれん。そんなやつらに選挙権はやれんだろ。本人は知的障害がありほとんど無意識なんだから後見人のいいなりになって投票し選挙の不正すら招きかねない。

というのがこの国の常識のようだ。とするとヨーロッパにおいての話だが、定住しないロマ人は犯罪の温床であり、自分たちが犯罪を犯しておいて選挙には参加するというのはおかしな話だ、という主張が大きな顔をする時代があった。現実はそのとおりになった。ナチスは選挙権はおろかロマ自体の絶滅を図る。

さらに老人もろくな判断はできない。交通事故にもあいやすいので家の中に縛っておこう。ましてや選挙なんぞとんでもない。まともに選ぶ能力はないのだから後期高齢者には選挙権をやるな。すっきりした世の中が来るぞ。

同性愛者はどうだ。こいつらが増えたら人口は絶対増えない。精子と精子で受精するのか。こんな奴らの意見が国政に反映したらいけないじゃないか。

北朝鮮を擁護するやつはどうだ。社会主義者はどうだ。ホームレスはどうだ。

と、ファシズムの例は尽きない。国境線内部にしか通じない常識をすべてに敷衍しようとする考え方をファシズムという。違うか。

かつて我々は、異端を排除し少数を失ったとき不安定な社会を迎えた。一見その時の社会は多数に至極ご満悦な時代をもたらしていた。だが、結果どうなったか。

何も意識のないのに投票させよとはいってない。投票しない自由もあり、後見人の任意な介入が戒められなければならない、とされているのも分かっている。問題は、そもそも知的障害者には選挙権なるものが存在していないのだと一律に断定されてきたことだ。今回、裁判所はそのことをさして異質こそ宝とすべきだと叫んだ。

能率だけでモノを見る前近代的思想は、かならずその能率という刃で本人を切る。

自分たちは正常であり正常な者が選挙しないとこの国はダメになる、といった思い上がりが狂ったようにこう信じた。正常であることをなるべく狭く定義することにより自分たちの思い描くよい社会が到来すると信じた時代がそれだ。

そこで「自分たち」という偏狭なナショナリズムに合致しないモノは次々にパージ(はねのける)していった。「できないから参加させない。」この言葉で次にパージされるのはそういっている本人達こそ含まれてくるに違いない。

官僚は言う。情報もなく、頭もなく総合力も判断力も人脈もなくどうやって外交をしようというのか。バカは引っ込んどけ。任せろ。税金も払わずに選挙するな。高卒の能力もなくて政治的判断はできんだろ。分からないくせに口を出すな。いつから偉くなったんだ。お前の判断より官僚の俺が正しい。お前は政治のアマチュアだ。

できないなら参加するな。政治は俺達専門家がする。外務官僚はみんなそう思っていた。

こうして、老人のように、同性愛者のように、社会主義者のように、ホームレスのように、自分自身が社会の邪魔ものになる。知的障害者はその列の先頭に立たされていただけだ。次はあなただ、という社会をみずから招いてはならない。

僕はこの裁判所の苦しんだ判例変更にエールを送る。

Posted at 2013/03/23

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