偶然いろんなお菓子をもらうことが重なった。
小倉の栗まんじゅう。
ご存知小倉北区の魚町に本店を置く。120年以上の歴史があるが、明治30年ごろの日本といえば「一等国」を目指す金鵄輝く日本だった。自らの貧困も忘れ国のためにすべてを投げうつのは絶対善であり、一臣民は「身を立て名をあげ」ることを夢見た。日清に勝ち、日露に勝ち、負け戦は国民に伏せ、ジャーナリズムの存在を国民は知らず幻の繁栄の中に酔っていた。
そんなとき勝ち栗とは縁起がいい。そのツケは大きかったが。
中に栗が入っている。小倉で菓子折りを持っていくとはこの栗まんじゅうを持っていくことだのことだ。小倉で知らない人はいない。
小判の形も好評で自分で食べるために買う人も多い。
つぎ。
赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い 赤い実を食べた
白秋の詩はすべて、空想の世界が広がる。本人は妻も妾もとっかえひっかえした大酒の飲みで糖尿の治療もせずメクラになった飲みで男だ。彼自身は柳川をよく思ってない。伝習館中学も卒業せぬまま早稲田に進んだ。おおらかな時代だ。彼の作品はエロ本だと柳川の人は罵った。
田舎とは、一度評価が定まるとその評価は固定され、異を唱える者は裏切り者になる。
ところが一度全国的評価を受けると手のひら返しが起こる。
檀一雄や白秋、その他多くの文人たちを生んだ土地だ。文学のカンブリア紀にあったと言える。現在の伝習館高校からは絶対に何も生まれない。生徒の一挙手一投足を校則で縛る学校という名の牢獄だ。
そんな中で和菓子はおいしくあり続けた。よくある本家だ、分家だ、老舗だ、本舗だの争いはある。そこは興味ないので割愛。
考え方として伝統を守るか、洋菓子やケーキも取り入れ経営を守るか困難な判断であることは確かだ。
最初の写真は伝統を守った方だ。「白秋最中(もなか)」一個一個に白秋の歌が短冊になっている。こぼれる甘さに優劣はない。ただこの越山(こっさん)餅本家は和菓子で勝負している)。
ほーら、つーじまちにあっとじゃのーしての、トンとこまちんにきあっとこたい。
訳)ほら、辻町にあるところじゃなくてね、とんとこ町あたりにあるところだよ。
本当に越山本家はここにある。柳川の味がして、僕はいつも思い出せないでいる夢にあう。
きちんとした柳川弁を喋れる人はいなくなるだろう。下二段活用のオンパレードだ。