か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

受験生 ・・・そして君らは途方に暮れる

2017年12月18日 | 受験・学校

僕は、ブログ「みんカラ」で、センター試験の心構え、なぜ君らは模試の点が伸びないのかについて、ご丁寧にも科目ごとに書き始めた。誰も読まないので途中で止めた。

今は追い込みの時期か。暗記だけで通る4流大学しか行くところのない人はそうだ。勉強したことないから今頃でも追い込める。伸びしろが無限だろ。

まともなところに行き勉強をしようと思う人にとっては、合格発表のメールを見て当たり前だと落ちついている自分が見えているはずだ。追い込みは高校2年の後半にすんだ。今、軽く流していても順位は変わらない。

そもそもぎりぎりで通ってなんになる。

スカイラインの群れに間違えて来たコペンが喘いでついていくようなもんだ。

 

センター試験の問題をあまり褒める人はいない。本当に試験形式で解いてみた人の誠実な所感と比べると巷の講評は的外れである。

センターは実によくできている。文科省が三流学生は暗記力だけで選考しろという圧力をかけている。三流の人間は考えたらいかんのだ。大学入試センターは、それに精いっぱい抗っている。

90点はバカでも家庭環境が整っていれば取れる。解いてみるがいい。だが、100点は取れないはずだ。

 

すべての問題は、精緻なからくり寄せ木細工だ。確実に、用心深く、ミスをしないが発想もない、言われたことは金科玉条、ルートを外れることは悪いことと信じる者を三流大学は量産する。

個性は、ない。あるはずない。統一した試験問題でどうして大学の個性がでよう。

 しかしだ。それにすら届かず、大部分の底辺おそ松大学に行くともっと大きい悲劇が待っている。

いままで高校では東大に行くものもいるがどこにも行かないものも混在している。ピンキリの生徒で構成される高校の教室という世界で、優れた者がいかにすさまじく優れているかを毎日見ることができた。

 

4流私大というところは、センター試験で選ばれた言いなり小僧たち以上に、それにすら届かない知的障害者の集会所だ。一様なバカのシグマだ。できるやつはそれなりのところに行ってしまってそこにはいない。

なんとうれしくない入学式だろう。静かな講堂には絶望感が漂う。貧血を起こした時のように。

 

それほどバカな私大ではなかったが、僕が授業をしていると後ろでタバコを吸うものがいた。たまに出席を取るからいるだけだ。バカだ。出席表なんて帰りのバスの中に捨てるのに。

バカに囲まれると発想力が死ぬ。ああこの子も久大(九州大学、帝国大学系列だがここは人が集まらず3次募集までしていた。今やエリートのいくところになった)に通る力があるのにバカのるつぼに溶けていくんだなあと思う学生が何人もいた。実験室の機材は中学以下だった。水の電気分解しかできない。因数分解ができない学生。理系が。

 

完全に平等(公平)にフェア(公正)に選抜することは不可能だ。だが選ぶ側は、できるだけフェアを目指すべきだ。環境も、とくに家庭環境。公正を例にとると、親の教養がないと勉学を継続することはできない。ぐうたら親は子殺しをしている。

僕は日本の大学は1年でやめた。若干、韓国のほうがセンター試験は工夫がなくやさしかったが、学生一人一人にノブレスオブリージュの自覚があった。教えて楽しい。

 

日本。この次のセンター廃止後の統一試験の工夫は素晴らしい。100万人に対し記述式などあり得ない。だがいかに思考力を見るかに相当の知恵を絞ってある。

少し光を見た。

官僚の発想ではない。学校を回って現場を知る課長クラス、大学の若手のチームが精魂を込めている。

 

今年は過去問を使いまわしする。過去問を解け。見たことのある過去問と同じ選択肢を発見したら読まずに次の選択肢に進め。それが正解であるはずはない。時間を節約しろ。たまに外れることもあるが全体としてはこの方が点が伸びる。手も足も出なかったら3にチェック。


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