か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   42

2018年05月20日 | 韓国

<前回からのつづき>

しかしながら1882年に偶然に発生した壬午軍乱はすべてをひっくり返してしまった

壬午軍乱(じんごぐんらん) または 壬午事変(じんごじへん) は、1882年明治15年)7月23日(旧暦では光緒8年=高宗19年6月9日)、興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の首府漢城(現、ソウル)で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱。訳者注 by wiki)

中国が反乱暴徒を鎮圧し、国王を救出するという名目で軍を派遣した後、壬午軍乱を主導した大院君を中国に送ったという事件が発生した。この壬午軍乱で朝鮮と中国の関係がどんな性質であるのかを広く国際社会にあっという間にさらしてしまった。中国が壬午軍乱の知らせを聞くや速やかに軍を派遣できたのは実はその前から準備ができていたからなのである。1879年日本が中国の朝貢国である沖縄を併合してしまうという事件が中国に強い衝撃を与えた。これに対し駐日公使、何如璋(하여장、ハヨジャン)を中心に朝鮮の外交権を掌握する必要性が中国政府内部化ら起こっていたが、時を同じくして壬午軍乱がぴったりの口実を提供したというわけだ。


中国が3000の軍隊をソウルに派遣するとき事前に主権者高宗の同意を得てはいなかった。とにかく以後、高宗は中国との事大関係忠実であることを誓約し朝鮮が中国の藩邦であることを明示した中国側が提示した条約案を唯々諾々と受け取った。以後、中国から派遣されたメレンドルフが外交権を掌握し日本との条約改定と米・英との条約締結を主導したことは、周知の事実だ。

米国との条約締結で中国は朝鮮が藩邦であることを条約の序文に明記しようとしたが、アメリカが断った。これに対し中国は高宗をしてアメリカ大統領に同一内容の外交照会送らせたがアメリカは黙殺した。アメリカがそうしたのは、中国の藩邦とは締結できない自国のプライドのせいもあるが、朝鮮が自主の国であると主張する日本の立場も考慮する必要があったからだ。最も悪質で不平等条約は、国内で外国商人たちが自由にすることを許したイギリスと結ばれた条約である。こんなことになるはずではなかったが、メレンドルフという外交権を掌握した中国の代理人がそのように処理をしたのだ。



次回用メモ  ≪ Ⅱ. 도덕적 세계관, 잘못된 일본관  “청년들이여, 낡은 역사관을 버려라” |  から  

意見  韓国でも、まともな大学はこのような意見が主流である。日本の右翼は韓国の事大主義がいつどのように起こったものか。あほな左翼は自説に拘泥することなく日本の侵略性が伝統的に存在したものではなかったことなど、学んでほしい。

 

見出し画像は「和解のために」という副読本である。日本では日韓問題というとガキのけんかレベルの罵詈雑言の嵐だが、韓国からは和解を望む声が知性をもって話しかけている。日本には和解してはいけないという人すらいる。たがいの溝は深い。

 



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