便衣=私服に着替えて民衆に紛れ込み捕虜として武装解除などの処遇を逃れようとするもの。
日本兵はこれには苦労してたようだ。市民と思うと撃ってくるからたまったもんじゃない。便衣隊からすれば言葉も違う小人のような軍隊が押し寄せてくるわけだからぼんやりしてたら重慶も成都も危ないぞと考えるのは当然だ。銃があれば撃ち殺すのに抵抗はなかった。日本軍はこれを民衆を盾にするひきょう者のすることと考えた。
また、このことを混乱というのだろう。便衣が便衣を打ち殺す。食料の略奪品を略奪しようと撃ちあいになる。それに督戦隊が加わる。
督戦隊=突撃などの時に怖気づいて突撃できなくなるものを打ち殺す。その他軍の風紀一般に責任を持つ。その場で撃ち殺すことが多い。これがいない軍隊はない。
その上捕まったら殺される日本軍が加わった。混乱はなかったというのが出てきたが市街戦を知らずにものを言うな。通り一つ隔てれば何事もない日常があるのが市街戦の特徴だ。
とくに彼ら国民党軍は西安事件以降共産党の将校の指導を受け帝国の将校を狙い撃ちにした。日本軍の将校は指揮棒を手にした瞬間どこからともなく狙撃された。
上海から南京の300キロは両軍(日本軍と蒋介石軍)の略奪の場と化した。両軍とも兵站のなんたるかを考えていない3流の軍隊だった。帝国の軍隊は自分たちの食料にも事欠くありさまで住民から強盗した。
この軍隊は強姦に飽きると父親を連れてきて娘と近親相姦させてそれを見て酒を飲み楽しんだ。寒い時は家の2,3件に火をつけてあったかくなったと言って帰っていった。
母親の前で便衣らしきものの首を切り見せしめにした。その母親は泣いて転がった息子の首を胴体にくっつけた。兵隊たちはそれを見て笑った。
「俘虜はとらぬこと」という命令がある。ぜんぶ殺せということだ。数でいえば日本軍を上回る支那兵が300キロの撤退の中で行き先をなくしていた。死んだ者はいいとして逃亡するものは日本軍は収容しなければならぬ。そのまま逃げたら国民党軍として復活するにきまっている。日本軍を恐れつつも逃げ遅れた支那兵は便衣になる。日本兵は住民と区別がつかないからぜんぶ殺すのは当然だ。
情けをかけたら殺される状況で見逃したり食料を恵んだり絶対にできない。
小日本帝国は侵略の経験の浅さからお粗末な進軍をしている。捕虜の服や糧秣は前もって準備してから南京を攻めろよ。わざわざ混乱をおこすな。浅はかな低能松井、反省しろ。
この南京攻略戦とその途中の進軍には九州の兵隊が多い。兵は勇敢にたたかった。中支那方面軍、よくも無計画な松井や柳川の功績のみをあせった軍の運用をしたな。
陸軍が保有した200師団中最強、すなはち世界最強の軍隊を汚辱にまみれさせ名誉回復すらなされない状況に追い込んだのは戦後の平和教育と低能右翼の浅はかな軍事知識だ。
軍隊は必ず残虐行為をする。やりたい盛りの青年の集団がクーニャンを見ればインポでない限りいきり立つ。こちらは銃を持っている。日本人は銃を持った人間がいかにこわいか知らない。僕のベレッタで狙ってやろうか。
米軍は洞窟に潜む住民と日本兵を火炎放射機で焼き、飛び出した人間を面白半分に遊びながら殺した。沖縄だ。なぜ南京では許されないか。戦争をするということはこういうことが起こることを前提で始めるということだ。アメリカがしたら正義の戦いで日本がしたら残虐行為か。