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74年前 旧那覇市域の9割が焼失。当然に米軍はほどなく上陸し占領した。
陸軍兵が僕にぽつりと言った。「艦砲はすごいよ」。大本営は負け戦の口封じのためガダルカナルの生き残りはインパールへそれでも死なないならルソンへ。それでも生き残った人の言う言葉には重みがあった。
砲は2000万発撃ち込まれ銃弾はその100倍だろう。組織的な戦闘が1か月だったとすると一日100万発の砲弾が落ち1000万発の銃弾が住民や兵の顔を飛ばした。typhoon of steel
平和教育は体験者の減少や高齢化により、空襲教育、帝国陸軍悪者教育、漫然と戦争反対教育に変質してきた。
これでは沖縄戦の実態が歪められてしまう。
沖縄の軍や行政の中心人物たちは米軍の上陸が近いという情報を握りつぶし自分たちだけ飛行機で逃げた。これこそが平和教育の最高の教材だ。また起きればまたこうなる。
引用 yahooブログ man***さん
・・・だが米軍が上陸寸前に沖縄から逃亡した泉守紀県知事、県議会議長、首里市長。第35軍玉砕直前に逃亡した八原博道高級参謀以下の幕僚たち・・・
このように軍人は沖縄を守ると言いつつやばくなると真っ先に退散した。八原博道は自分の部隊の壊滅を確認してから敵前逃亡した。兵なら即決銃殺だ。
10万の県外兵が死んでいる。せめて陸海の戦争展望の統一がなされるべきであった。陸軍は一撃を与えて講和に持ち込むというできもしない夢を見て、海軍は捨て石になるという美談に酔っていた。捨て石になっても壊滅の日が一か月程度違うだけだ。
米兵は射殺した日本兵の首を切りサッカー大会をした。わざと火炎放射器の火力を絞り苦しむ日本人を見て笑った。
父親の友人たちは理系の研究所にいながら海軍に志願せざるを得なくなり、追い込まれて志願し10人中8人が死んだ。
この人たちこそ戦後の復興のどんなに大きな力になっただろう。こんなことを教えるのが平和教育だと思う。
僕は偉そうに「殺すな」と言ったりはしない。ただ、「知らない人を殺すな」というのは僕の信念でありどこででも言える。