日本の白菜は努力する。こんな色して、そのまま食えた。十年一日、同じことに吠え続けるのはるのは白菜より馬鹿だ。
映画。
日本映画とは、力の入れ方が違う。韓国に旅行した人は、ほんの30年前まで韓国の町並みを見て、「こりゃ日本の40年前だな。」と誰しもが思った。
しかし、韓国には「なにくそ負けるもんか」という火種がくすぶっていたのをのを、見逃してはいけない。
縦長の狭い画面に、つぎはぎだらけの白黒フィルム。だが海の向こうの島で、暴力映画か冗長な時代劇。若い建さんに日本人が夢を見ている頃、半島ではいつも雨降りのスクリーンで、今に見ていろと映画を作った。経費、役者、ロケ地、セット、・・・すべてが不足する中でメガホンを握り締めていた。
1feetも無駄に出来ない極貧映画におろそかな脚本を用意できようか。
所詮、映画は、夢を見ることなのだろう。出来れば尾を引く夢を見たいものだ。この娘が出る映画についてはまたの機会に。
話を戻して、
波はあった。
安部のじいちゃんが反共産主義の一点で韓国と野合し、軍人大統領と日韓議員連盟を作った。この頃、低能社会党、落ちこぼれ民社党は青筋を立てて韓国との交流を非難した。
朴正熙は、一体、何人殺す気だったのか。「磁石は北を指す」と言ったら反共法に引っかかった。そんな中で命がけで自己主張をしようという国の映画と、面白半分のガキ相手金儲めあての国の映画とは異なる。その彼も射殺された。当たり前だ。軍人は弾で死ぬ。
人々は現実から逃げるため「ダンスホール」に通った。しかし、それが可能だったのは大多数の人々が血の涙を流して働いていたからだ。
パククネの時代になると、映画関係者は、映画人にとって天国が来ると思った。ところが、スポンサーという強力な介入者が出現し、映画人も自主規制という名の権利放棄をしてしまう。
「採算が取れない」ということは、「投獄される」より強力な足かせだった。
すなはち、一部の日本映画のようなカネばかりかけた、ガキが喜ぶ映画が巷にあふれ出した。ある監督と話したとき、「それは政治弾圧よりこたえた」と語った。
もちろん、三谷さんの作る上質な笑いの世界は、まだ韓国には無理だ。それどころか単純に駄作も多い。
ところで、韓国を悪く言うと喜ぶ人生の落ちこぼれどもは、「お前はどっちの味方か」という視点しか持たない。
去れ。事実ではなくその事柄の意味の話をしている。
5年ぐらい韓国映画は不作だった。その間、TVドラマが全盛で、下品で、内容のない、コネで主役についた、アホブスが演じる、ぐちゃぐちゃメロドラマが、韓国でも人気があった。
スポンサーの顔色ばかりうかがって政治色のない「好いた惚れた」の愛憎劇に終始する。それをババアが見て「もしもあの時・・・」と、自分のありもしない青春と重ねる。
そこで今回の映画。まだ新しいので日本のレンタル店には「新作」で出ていると思う。
韓国では最高の観客動員数だ。この映画はそのまま韓国の戦後史だ。
最後の言葉が耳についてはなれない。「お父さん、約束は守ったよ。だけど僕にはつらすぎたよ。」
彼は60年間、国際市場で北に残された父を待ち続けた。そんな片隅の人間がじっと家族を待っていただけなのに、彼は時代に翻弄され続けた。