オウム真理教の浅川教祖が、あるとき、ふとわれに帰った顔をしてこう言った。オウムが波野村にいた頃。
浅原の語り
「悟り」あるいは「解脱」、どういおうとも純粋な自己の発見の最大の障害になるのは、本人の劣等感である。私の場合は東大に通らなかったという事実が障害になった。1%も邪心がないのかと自問自答したとき、すなはち、天地神明にちかって「解脱したのだ」といえるには、東大に落ちたという事実を心に引っかかったままにしておけなかった。
ここまで
すでに十分な権威を獲得していながら彼がこう語るとき、彼は、うつむいて照れたような姿を見せた。
僕はむしろ、そのときこそ彼の心の昇華の過程が、見えるのではないかと期待した。少なくとも個人としての浅原が正直に弱さをさらす面には共感した。
「人を騙して喜捨と称する泥棒をはたらいている」「解脱を助けるためと称して人殺しをしている」・・・などの声にかき消され、浅原もすぐに教祖の顔に戻った。
僕も唯一の親友が出家信者として帰ってこなくなった、が、帰せ帰せばかりでなく信仰のカラクリを知りたかった。
<引用開始>
佐賀広域消防局は19日、マンションや駐車場などの賃貸収入で年間約7千万円を得ていた北部消防署警防1課富士出張所の男性消防副士長(43)に対し、兼業を禁止する地方公務員法に違反したとして減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にした。 佐賀新聞 1月19日(火)
<引用終わり>
佐賀らしい、じつに佐賀らしい。それを言うならお寺の坊主が定時制の教師をしているのはいくらでもいる。もっと明白なことでは、全日普通科の教師で日曜百姓をしているものはさらにいくらでもいる。
なぜ処分しない。年収7千万を悔しがることは地方公務員法に違反する。つまり、全体の奉仕者が特定のものの収入だけを問題にすることは許されない。ひがみ根性ここに極まれり。
憲法。教育基本法。および教育関連諸法が最も留意しているところだ。実は佐賀県教委は、パンドラの箱を開けたのだが佐賀では問題にならないところが佐賀だ。
日曜百姓と言っても7千万程度の者のはいくらでもいるぞ。教員の収入なんてお寺の収入に比すればアルバイト以下だ。
なのに7千万かせいだからといって本務の収入を減給するとはひがみだけの行動だ。佐賀に将来はない。
法の下の平等だ。事務職でありつつ自民党の運動員をしたらいけない。官僚の選挙運動をしたらいけない。百姓と二股かけるな。坊主と二股かけるな。
それらが是正されるなら、アパート経営なんて辞めてやる、あるいは火消しなんて辞めてやる。
人権どもが発狂する言葉を言ってやろうか。 片手落ち