Spanner(スパナー)と同一のものらしい。僕は比較的小さいものがスパナーで大きいものがレンチと思っていた。小さい頃、たとえ土間の上であってもレンチを落とすとひどくしかられた。いらいらしているときにはレンチで殴られた。
父親がクルマきちがいであったので僕はよく修理を手伝った。たたかれた僕は鼻血が出た。原子力のせいではない。
普段はまったく子供に興味はなく、世間体のため思い出したように発狂し成績を上げろといった。
僕は思った。そんなら人の頭をたたくな。
だが、虐待したのと同じ回数ぐらい、物の仕組みはよく教えてくれた。その中でよく記憶に残っていることがある。本人が痴呆が入ってきたので、同じ事を何回も言うようになったせいもある。めかけ遊びばかりするので、僕と弟は梅毒だといっていた。いったい彼は何の仕事をしていたのだろう。ということを、ふたたび20年もすれば僕の子供が僕のことを書くだろう。
スパナには裏表がある。ワッシャアにもある。締め付けトルクはこうして覚えろ。・・・車庫から戻ると家には黒板があり、自分の言ったことを数式に直して納得させた。小学生の僕は泣きながらその式を解いた。無理無理。解くフリをした。以降、人生でこのときほど解きにくい式に出会ったことがない。
応力を一点にかけない。というのが大体の原則である。そこで写真にあるレンチの図を例にするので見てほしい。左を向いた片口レンチ。ボルトの頭をつかむところが左方にしかない。
その「口」が15°グリップ棒からずれている。ということはボルトに延びる2本のキャッチがそれぞれ異なる形をしているということだ(上側が下側より長い)。今ここで仮に上側の長いキャッチをA、短いのをBとおく。大きいレンチになればなるほど、A、B、逆に使うと、わりと簡単に壊れる。
とくに、モンキーレンチの場合は短い側(B)のキャッチがねじで動くから壊れやすい。現代でもモンキーは他に方法がないときのみ使う。
戦前は材質が悪かった。そう。そのとおり。そこで思考が止まるのがポン介だ。落としたら割れるダイキャスト、裏表のあるスパナ、ワッシャア。しかし、だからこそ物の性質をわきまえ、先人の苦労に感謝するということを知っていた。
なぜ15°曲がっているか。15°に行き着くにはどれほど多くの人がぼろ工具に泣いただろう。
宇佐の航空隊跡に行った。永遠のナントカというアホ用映画に使われたゼロ21型があった。掩退壕も見た。僕の気に止まったのは、一本のスパナだった。24ぐらいの片口。キャッチ(B)が折れていた。そこで5ミリ厚ぐらいの鉄板で両側から挟みこみドリルで穴あけしてリベットでとめていた。
つまりレンチ一本のゆとりもなく戦争をしていた。
戦争とは命と物資の使い捨てだ。ゼロ戦をはじめ戦闘機を9年も使う貧乏国に何ができよう。
この貧乏国では、レンチはおそらく20年は使われたはずだ。レンチで殴られ体で覚えた整備兵が、そのぼろレンチを万力とヤスリで修正し、リベットを使い継ぎ足しして使っていた頃、捨てるほど有り余るSnaponのワゴンからレンチを取り出し、アーミーのDJを聞きながらコーヒー片手にグラマンを整備したら、どっちが勝つと思うか。
このアメ公たちは、仕事が終わると基地の前にあるパブに行くのが楽しみだ。レンチをウエスで拭きジョークを交わしキンキンに冷えたビールを目指す。このパブは、沖縄上陸一週間後には営業していた。
一方、小日本の整備兵。ぼろレンチでもたたかれると体が痙攣する。8月15日を過ぎると、そのつぎはぎレンチは床に捨てられた。見たくもない。宇佐航空隊には将兵6,100名が勤務した。帝国海軍が解体したとき、怨念のレンチをひろう者はいなかった。