ちょっとお行儀よく言うと真空管という。もうほとんど見ることはできない。米軍を勝利に導いたというと意外に聞こえるだろう。これだけでアメリカが勝ったはずはもちろんなく技術と物量と戦略と戦術とおよそすべてにおいて大人と子供のけんかだった。ただその大人は容赦ない大人だった。
それでは話が広がりすぎる。今日は球に限る。
まず無線機のタマ(真空管)。製造するにあたっての考え方にはたいした違いはなかった。問題はそれを工業化する力があったかどうかということだ。
空中戦が起きると日本機は相互に連絡する手段がないため個個の技量で適当に戦った。米軍機は隊長機とのフルもしくはセミデュプレックス通信が可能であり無線機を常時受信状態にして戦った。くやしいのはそれがFMだったことだ。米軍パイロットは音楽を聴くような音質で交信していたのだ。
並行して飛んで黒板に書いて知らせた第一次大戦のような戦闘機に乗っていた搭乗員や哀れである。
僕は戦後数十年たったコリンズの無線機を持っているが落としても平気だしなんと水洗いまで可能な代物だった。ダイアルメカの精巧さ。配線の合理さ。頑丈さ。そして扱いやすさ。たいした専門知識や職人芸なしに電波を飛ばすことができる。
球の足に施された振動や湿度に対する工夫は目を見張るものがある。今でも十分に実用品としてシベリアや昭和基地と交信している。
アメリカはこの球の小型を高角砲の弾の中に組み込んだ。これで射手は距離の調整から解放され射撃に専念した。弾丸の中に真空管を組み込み敵機との距離が一定になったところで自動的に爆発させる。発想は日本にもあったが思うだけなら馬鹿でもできる。実用化し工業化し適切に用兵する。こうなると日本にとっては夢の夢だ。
高角砲の初速は200m/secである。この衝撃に耐える真空管。弾の中にこめられた球が1秒後、かろうじてたどりついたゼロ戦を粉砕した。
他にもはるかに高い真空度、メタルチューブの精巧さ。日米では全然球が違った。