日本では、大塩平八郎の乱が起き足元に火がついた幕府はやっと情勢の急変を自覚した。飼い犬が手を咬んだのである。
欧州では、ナポレオンの熱狂のほとぼりも冷めぬころ、国民はルイ=ナポレオンに夢を見た。彼は果敢にも再び寒い国の熊に戦いを挑んだ。国民は、クリミア半島、とくにセバストポリの攻防に一喜一憂した。
200年後、この寒い国の半島が再び熱くなろうとはだれが想像しただろう。
そのころ、ある弱兵がいた。前線はおろか通常軍務も果たせぬ彼は、ほどなく除隊する。ここからだ。彼が本領を発揮するのは。兵隊というのは数にすぎない。一騎当千とはたとえの話だ。それどころか10人力も現実にはない。
しかし頭は違う。バカが一億十億いようと烏合の衆であり、頭というものは、一騎当千どころか百万にも一億にも相当する働きをする。
石原慎太郎は、小説家らしく豊富な語彙で適切に意見を表明するが、肝心の教養がない。フランス人がいつから数学が不得意になったんだ。逆だ。近代の、及び現代の数学を支えているのはフランス、ロシア、アメリカだ。
クルマに関係のない話をしているとかいって泣きじゃくっている人がいるだろ。あほ。当初述べた病弱の青年の名はコリオリだ。彼が、明確に、正確に、単純に、「仕事」と運動を区別したことから世界の物理は統合された。今高校で習う物理の概念をつくった人だ。
なぜガソリンという液体がクルマの運動に代わるか。そのことをエネルギーで考ると、燃焼という化学エネルギーが上下運動、回転運動に代わって運動エネルギーに変わって行くのだが、そこには、一定の方程式で結ばれる法則があるということ。これが分かってなかったらクルマは誕生していない。同じ質量なのになぜ遠心力は角速度の2乗に比例するのか。衝撃はなぜ速度の2乗に比例するのか。そのまま正比例じゃいかんのか。
残念なことにコリオリは別のことで有名だ。コリオリの力。これは、とても面白く応用が広い。数式は使いませんのでもう少し頑張りましょう。
北極から南極に向かってボールを投げた。ボールが空中にある間も地球は動くので、かならず狙ったところより右側に落ちる。これはあたかもボールが力をうけて右にずらされたようだ。というのも、地球が止まっていたらそのまま狙いのところに落ちるからだ。実は力をうけて曲がったのではない。
ここからが頭を使うところ。
北極は西も東もない。ので、日本みたいなところに立ち、こんどは東へ投げたらどうだろう。あるいは西へ。安易に答えを書いちゃあいかんが、ボールはずれない。
じゃあ斜めに、たとえば赤道に向かって左45度にボールを投げたらどうだろう。その次は、その投げ出す角度、と、ずれかたを一般式にしたらどうなるだろうか。
戦艦大和の主砲は、一発今のおカネで五千万。通常9門の斉射を行うので約五億/一回。外せません。計算室の歯車が何百個もまわりだし計算を始めるとき、ひそかにコリオリの力を組み込んだ歯車があった。