日本のどこにでもある寒村のひとつに過ぎなかった村。福岡県、飯塚。ここは石炭とともに栄え石炭とともに滅んだ。長崎にある世界遺産の軍艦島、それに比すればこの町はまさに陸の軍艦島だ。
街が栄えればその活気はあらゆる産業に波及する。炭塵で真っ黒になりながら炭鉱夫は炭を掘った。そしてその炭鉱夫は、日本中、朝鮮からも台湾からも中国本土からも集まった。
ここで昔の社会党、あるいは今の共産党は大きなウソをつき国民をだます。
炭鉱夫は気絶するほどの高給取りだった。炭鉱住宅(炭住)は家賃はもちろん電気もガスも石炭も風呂もタダだった。インチキサヨクは、仕事に関しても誤ったイメージを流布した。
鶴嘴(つるはし)で掘るのは明治時代の話だ。昭和初期から機械掘りのみである。
こんな街に流れ者が集まらないわけはない。「花と龍」の世界だ。高倉健さんの家も近い。一晩で給料をすべて使う、すなはち、宵越しのカネは持たない。これは筑豊のヤマ(鉱山)の男の流儀だ。
ここに君臨したのが麻生家だ。百姓は麻生の車を見ると土下座したとの伝説がある。きっと助手席には、お坊ちゃま麻生太郎がいたはずだ。
つまり、上から下までチンピラなのだ。食いっぱぐれ、流れ者、借金取りに追われる者。運と才覚と度胸のあるものは財閥と呼ばれ、争って皇室と姻戚関係を持とうとした。
今は石炭の火が消えたとはいえその気質は残っている。暴力はすべてを解決する。この地方の真理である。
僕は飯塚が好きだ。ところが、すべての人にとって居心地のよいところではない。しつこくうごめく偽物人道主義、よいこのフリをした偽物人格者。そんな奴らは飯塚に来てみろ。5分で死ぬぞ。
こちらでは川筋気質と呼ばれる。高倉健の世界は、かっこよさの真髄だ。デレデレ細やかな気配りで母親化した父親は飯塚には一人もいない。「せからしか。表に出んか。(めんどくさい。表に出ろ)」
大事なことはそれが今も残っていることだ。人は去っても気風は残る。
その飯塚で絨(毯)宝展があった。carpet と Jewelry。ヤマの男たちはケンカばかりしていたのではない。最初は無知蒙昧であろうと、知らずと学習していく。見栄を張った散財であろうと「よいものを見分ける力」は着実に育った。そして、そのよいものが飯塚に集まるルートが定着し、今もある。
飯塚音楽祭を見よ。「ひよこ」のお菓子、伝統のさかえ屋、・・・福岡は150万も人がいてみるべき料亭はない。15万に減った飯塚の人口だが、世界レベルのものがいくつもある。それは、たとえば、音楽祭。音楽がいかに人を豊かにするか知っている人達が、福岡市より多いことを意味している。
イランは豊かな国だ。ガソリン1リットルが1円の国だ。経済封鎖で呻吟していることはない。スタンドプレーの同情は犯罪である。
5歳から50歳まで女たちは絨毯をつむぐ。10時間/日。よそ者が偉そうに判断してはならぬ。児童労働、幼児労働であっても。児童労働が禁止されたらその一家は餓死する。
少女が部族の衣装を着て、会場でデモンストレーションとして絨毯を編んでいた。
「将来は何になりたいですか。」
「このままが一番いいです。」