音楽会は帰りがかなり遅くなる。これがまたいいもんだ。人も車もDQNもいなくなった佐賀県を自分のライトだけに導かれて走る。楽器が鳴りやんでも至福の時間は続く。家につくまで。
川井さんの指は細かった。だけど気が遠くなるような努力と厳しい指導に耐えた指だ。やや大ぶりのビブラート、みなさんご存知の大仰なジェスチャー。別の日に千住(せんじゅ)さんを聞いたが、おおらかな人柄が出た演奏で、氏より育ちと実感する。
博多駅のコンコースの柱のデザインは千住さんのお兄さんの作品だ。
音響抜群 椅子が狭い
僕ら素人は誰の演奏を聞いても同じに聞こえるから、踊りながら弾くとはいい思い付きだ。だがこの世界は新しいことをすると決まって下手くそたちが僻む。やっかみや妬みに耐えることは実は練習の一部なのだ。とくに女性は陰湿な嫌がらせに耐えねばならぬ。
川井さんは、強い人だ。
僕の場合だが、人生にはこれでもかというほど緊張するときがあった。発表会。そんなとき僕は、意図的に外見も心も貧しい人々をまず憐れむ。そしてこう思う。そんなアホに比べたら、僕は何という素晴らしい努力をして、誠実に生きたことだろう。だからこそ、
負けられない。負けないではなく、バカくそと同じなんて死んだほうがましだ、負けられない。毎週バイオリンのお稽古に通った努力をここで無にしてはならないし無になるはずがない。もちろん天才ではないので苦しいこともたくさんあった。だから負けられない。
無理にでもそう思うと緊張は消えた。
演奏者は男が多かったせいか、あまり歪んだ競争心はなかった。僕は地底をはう虫たちと少しでも差を広げたかった。若干であれ他人より少しでも優れたいとは、みんな思っているはずだ。負けたい人はいない。負けたいなんて、負ける人の言い逃れだ。
まあ、平均的な練習生の気持ちだったろう。昭和30年代はまだまだ不潔虫がたくさんいて、はだしで学校に行きDDTを頭から振りかけられていた。
天才というものと上手というものは、さらに根本的に違う。天才は、のみこみとひらめきが連続している。川井さんも千住さんもそれぞれ個性があり、ストラジを弾いていたので二人の違いが際立った。川井さんほどになってもバイオリンは借り物だ。10億。1丁が10億円。いくら天才でも10億は困難だ。
公的援助は0である。
当然コンサート代は高くなる。貧乏人は行けない。千住さんのコンサートはSSで4万円。高い方からあっという間に売り切れる。
国家的援助体制が必要だ。WIENには1700年からある。安倍は大学予算を大幅に削減した。戦車や大砲で一等国になるのではない。安倍になってから日本の品格は確実に下がった。
会場付属の庭園
不潔虫が教養をつける日は来ない。ほんとは4万円が出せない人はいないがその無教養のせいで、エロDVD100回借りたほうがいいもん、と思うだろ。
クルマで追い越されたぐらいで腹を立て人の腹をノミで刺す人が、豊かで至福の時が人生にはあるのだと知ったら、日本は穏やかになる。
いいか。佐賀県ですらこんな素敵な世界がある。僕はアンコールで涙した。
国民の教養を高めるのに心を割いてない育ちの悪い安倍は、芸術の偉大さが永遠にわからない。