金持ちを見れば僻みたくなる。
負け惜しみに、貧しい男が金持ちの真の姿なんか知らないくせに、"フェラーリでその人を判断するなんて…”、とかいってイソップのすっぱいブドウの話しのように、無理に自分を納得させる。
金持は、お前らぐうたらなんかよりよっぽど真面目に生きているぞ。
その貧しい人。フェラーリは持たないだろうが乗ったことぐらいあるか。・・・・ない。まれにフェラーリは、間違えて金持ちになった一代限りのコガネモチが乗るから資源の浪費になっている。貧乏人はうつむいて歯をかみしめて絶望し、フェラーリの堅実さを知らずに死ぬ。
コスモスに買い物に行くときだけは不便だ。入口が入らない。(幅と段差)それ以外のときは便利で素敵な車だ。阿蘇の山並みはフロントガラスに映画のように映る。信じてもらえないが、フェラーリは堅実な車であり僕はその真面目さが好きだ。馬鹿にはもったいない。EUROPEでは品位のある人が乗っている。そのひと達は頭が低いがメカには詳しいので話して飽きない。
バカが運転するから燃費が悪くなるのであって。8~10は常に走る。250㌔/hour がなぜ必要かという人がいるが、どうぞFITにお乗りくださいまし。
最近のフェラーリはあれこれOPTIONSがついたが、世界的潮流であってもけしからん話だ。自動車が自動車文化を破壊している。だがまだ他車との差は歴然だ。100均で買ったスプーンの様な軽の方向指示器のレバーは悲しい。
危険なのは何か。フェラーリは事故のときめったに死ぬことはない。
しかし他のクルマの話だが、宮城県の人は追い越されたことに腹を立てノミで刺した。ほとんど死ぬ。福岡県中間市のDQNは高速で停車させ後続車に轢き殺させた。
日本では4000人/年死んでいるからこの手のDQNはごく一部であると主張するあさましいのがいるが、最も防げる事故は防いだ方がよいのだ。
ところが、フェラーリに追い越されたからといってノミを持って刺す人はいない。いたとしても窓ガラスが割れるより早く警察が来る。そのDQNは半年後あたり、ふとした運転操作のあやまりで堤防から落ちて死ぬ。自損事故。これ本当の意味で自損事故。事件性はなしと警察は言う。
モノは持つべき人が持ってはじめて素晴らしくなる、という話の続き。
いま中国人が、分かりもしないくせにバイオリンを買いあさっている。安倍は科学とか芸術の素養がなくあまり期待されない人間として育った。
そこで、明治以来日本人がその演奏技術を評価され、カネの力でなく実力で受け継いだバイオリンの名器(仮にここではストラジ)が、中国に消えている。10倍払うから売ってくれ。その一言に日本にせっかく集まった名器が消える。下品な日本人は、カネさえもらえばはいはいとうなづく。そんな奴はノミで刺し殺してよい。
よい楽器で練習しないと絶対に上達しない。ストラジは買った瞬間に値上がりする。100万が1000万になっても食指は動かないが、1000万が1億、10億になったらどうだ。
中国人は音をカネで買うのではなく、カネでカネを買っている。ストラジの相場は高騰し下がらない。
最も困る点は若い演奏家に良い楽器がいきわたらないことなのだ。千住さんや高島さんは個人的に活動されているが、オーストリアのような国家的支援体制がない。だからいつまでも3流国なのだ。
日本人よ。年末に意味もわからず下品な自己否定の第9をうたうな。NEW YEARS CONCERT IM WIENを聞きなさい。コンサートはS席の中央で聞かなければ意味がない。家のCDごときで聞いても入場する音がするか。チューニングの音がするか。楽譜をめくる音がするか。
ストラジを構えるときのわずかな指の音。燕尾服の擦れる音。絹のドレスのフープがそよぐ音。観客の上質なwoolに包まれた最高の吸音材が奏者のアドレナリンになる。気持ちがのった時の奏者の顔は鬼気迫るものがある。
安部は芸術学問の分野に全く関心がない。関心は、産業の発展という昭和30年の蒸し返しと国防にしかなく、馬鹿の一つ覚えだ。
さらに下手ほどそうだが、芸術家は安倍が何をしようと関心がない。ここが世界の一流に追いつけない壁になっている。