か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

三上亮(Vn)、金子鈴太郎(Vle)、藤島彩(pf) Trio

2015年12月21日 | 音楽

80年代に韓国の書店に行くととても寂しい思いをした。仕事上の本はよくそろっている。店員の中にはなかなか分かったやつがいるなと一人ニヤッとしていた。

ところが文系の本はさっぱりだめだ。父親に話すと、途上国とはそんなもんさ、と言った。つまり、劣等国は、すぐ役に立つかと言うことに関心を持つのだ。ところが生きる意味とか感動とかには関心がない。

まだ十分に国民が「食えて」なかったのだ。

今や、詩集や絵本や小説やノンフィク、絵のない雑誌などであふれかえっている。

(釜山、光復洞の書店。大体4時ごろ、僕はここにいます。)

ネトウヨには信じがたいだろうが、韓国人はよく本を読む。ひじょうに本が安い。それでも買えない貧乏人には古本があり、あるいは図書館に行く。

こりゃ、いずれ負けるなと思った。馬鹿には無理だが、韓ドラの中でどれほど高度で多くの四字熟語が使われていると思うか。バカ韓流かぶれのためにやさしい日本語の訳になっているのが哀れだ。

たとえば、「邂逅」。韓国ではこの意味がわからない小学生はいない。

日本はいまやGDP(一人あたり)が、貧乏国の集まるアジアですら5位に転落した。世界1位だったのがアジア5位。

理由のないことは起こらない。

何が狂ってきたのか。僕は、世の中が、途上国が掲げるような下品な価値にしか目を向けなくなったからだと思う。

即戦力、即戦力。コスト、コスト。電車の中ではスポーツ新聞。働いて働いて、発散して発散してを繰り返せば誰でも馬鹿になる。労働苦とデリヘルを繰り返したら馬鹿になるだろ。

イ・ウーファンレベルの画家とながらく友達だったが、パククネの父親朴正熙の独裁に我慢ならずNYに行った。「韓国は芸術家が生きるには苦しすぎます。」、と。1980年。

                                    

(家のもみじ。やっと紅葉)

タイトルの3人は世界レベルの人たちだ。3人ともヨーロッパで修行している。三上は芸大を首席で出た。金子はハンガリー国立音楽院に行った。藤島は、国立(くにたち)音大から僕の好きなWienに行った。Royal Collage of Musicの院をでた。

ポイントは3人ともそこでトップの成績を収めていること。とくに僕は藤島を教えたので身内のような気がする。腕前は私が3人とも責任を持ちます。

僕は怒っている。奇跡の3人がそろって世界最高の演奏をすると言うのに何と入場料は1000円だった。客はパラパラ。これで芸術家が育つはずがない。1000円なんていう金額で世界の宝をバカにするな。

 

コスト、コストの世界に生きるから分からんだろう。その下品な精神が日本を途上国に引き戻す。

韓国でウィーンフィルを聞けば5万した(円)。それでも席はコネがないと取れなかった。

両国の逆転の日は近い。理系ももはや韓国のほうがレベルが高い。違うなら新国立建ててみろよ。エンブレム問題も韓国ならホームベース顔を懲役10年にして、事故でかならず刑務所で死ぬことになる。

日本は、ホームベース顔のとんがりコーン頭を野放しにする。いやな国だ。

(私は、嵐にいければそれでいいの。)

 

 

 

 

 

 


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