か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

障害馬術、馬場馬術

2016年09月05日 | 趣味

 

オリンピック馬術はすんだが、今まさにパラリンピックの馬術が開催されようとしている。

 

 

まず、障害馬術。メジャーではないので競技の概要から。と言うと、すぐ鬱陶しいのが出てきて、自慢しているとか知ったかぶりをしているとか言う。

半分当たっている。知ったかぶりはしていない。これは競技者の基本であるし、馬術の常識である。あまり知られていないことを紹介しようと思っただけだ。

 

馬術は、長い歴史の中で、洗練され修正され競技規則が成立してきたものだ。。英知が結集し成立した競技だ。

 

障害には、水平、垂直、濠の種類がある。助走の距離が短いものや連続して飛越するものがあり、しかも馬の足がわずかに触れてもバーはすぐ落ちる。

馬が合う。これが大事だ。メダルのためには数百頭の選抜された馬の中からさらに選抜して乗る馬を決め、何年もかけて調教、乗馬して合う馬を探していく。

ITだなんだと一回の波に乗っただけで数億ためて金持ちと思っている貧困精神には絶対まねできない。

なぜなら、くされ成金が思うようなカネでは馬一頭維持できない、厩務調教がいない、時間が足りない。そして決定的なことに知識と気品が足りない。数百頭から一頭を選んでも4年しか乗れない。病気ケガ・・・

 そうそう、馬場の言葉は示唆に富む。「埒が開かない。下品な小金持ちと話しても埒が開かない」。毎朝馬場の埒を開けるとき頭がフラッシュアップする。

 

アングロサクソンのずるさは、また歴史ジャンルで書きたいが、今回ばかりは参りました。こいつらはコツコツ気絶しそうな努力をする。

四肢が麻痺し変形し、6歳までは何を使っても歩くことが出来なかった人が、腕を一回、背骨を3回骨折しながらそれでも乗馬学校に通った。見ていると、足が人の半分ぐらいなのでスルスルして鞍から落ちそうだ。

「ハンディをつけないと差別だ差別だ」、と騒ぐ日本の無教養、善人ぶりっ子主義は彼に学べ。障害は守られるためにあるのではない。障害と命がけで闘う人に、了解なくあなたチンバだから守ってあげますよ、とは失礼な話だ。

障害は守られるものではない。そんな意気地なしばかりではない。このごろ日本では、おれの障害にカネを払えと言い出すのが出る始末だ。モノカネをもらって当たり前と思うな。

障害とは闘うものだ。世の中は皆、見えない障害を持っている。それぞれに歯をくいしばって生きてるじゃないか。

彼は顔の半分を失う落馬事故にあいながら、通算4個の金メダルを持っている。

 

 

 

 

 


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