北京空港で高麗航空から中国東方航空に乗りかえ成田に向かった一人の男がいた。男は通いなれたルートであるかのようにスムーズに東京の電車を乗り継いだ。赤門についた。
一年間心血を注いで完成させたCDROMをさしだすと静かに勝負は始まった。
将棋のプログラムの完成度を競う大会だ。今年はルールの改正があり一度CDをさしたら競技者はキーボードに手を触れてはならないということが加わった。
完全に、読みだされるメモリーに書かれた命令にのみ従って将棋のコマが動くのだ。
男は名だたる大学の研究室のへぼCDを打ち破りつづけた。
おどろくべきことに男は将棋を知らなかったのだ。日本から送ってもらった将棋の簡単なルールブックがあっただけだ。天才だけが持つしなやかな発想と気絶するほどの試行錯誤。男のCDに込められた鋭い戦略と超絶した発想は、男自身の再現でもあった。すでに男のCDはアホ大学をすべて打ち負かしていたのだ。
最初ニヤニヤしていた東大生の顔が変化していくのが分かった。研いだばかりの真剣を見た。日本にもまだこんな顔が残っていたのか。そして東大生は目を見張った。
男は負けた。いや、男のCDが負けた。東大生のCDはかろうじて勝った。だが疲労困憊の東大生は状況を正確に把握していた。本当に負けたのはこっちの方だ。これでもかというアドバンテージがありながらかろうじて勝つということは惨憺たる敗北だ。
男は紳士同士の握手をした。男は多くを語ることをきらった。自分が持ってきたCDは東大生に差し出した。参考にしてくれというわけだ。このことに込められた男の勝負の意味を東大生は理解した。
自分のデーターはすべて出す。言い訳はしない。さあ、来年、もう一回勝負をしようじゃないか。アドバンテージがどうしたとか女々しいことを言い出すことは彼の自尊心が許さない。党の指令に沿えなかった自分を恥じた。渦巻く思いをおくびにも出さず男は雑踏に消えた。DPRK(北朝鮮)に帰ったのだ。
雑踏に消える男の背中に勲章を見た。