<前回のつづき>
ナポレオンはクーデターで政権を握り自ら皇帝になったのであるがフランス国民たちは彼を本物の革命の守護者であるとあがめてやまなかったのであるし国民投票を通して絶対多数がナポレオンの皇帝主義に賛成した。
ナポレオンもまたこのようなフランス国民の期待に応え征服戦争を通じ全ヨーロッパに革命を広げ、そのことに一生をささげた。征服戦争がどうだとか正当であるとか言えないがナポレオンやジンギスカンの征服戦争はヘーゲルが表現したように生きた世界精神の活動であって、これらの征服戦争によって人類の歴史は一段階高い段階に前進することができたのである。
したがって。我々は侵略と征服の歴史を見るときある民族が相手の民族を侵略することは悪であるという単純な視点から抜け出し、果たして征服の内容がいかなるものであるのかというところに注目する必要がある。
民族という概念自体は発明されて200年にしかならないイデオロギーにすぎないし現代社会において次第に廃れつつある旧時代の遺物である。だから民族単位の自主的存立がまっとうなことであるという論理も最近はやっている民族国家の自己合理化であるのみであり、それは歴史を評価するときの基準たりえないものなのだ。
このような視点から見ると19世紀末ヨーロッパ人の植民地征服においては正当性を見出しにくいが日本のアジア進出には明らかに世界精神の自己具現という側面が存在していたといえる。
革命を通じて非ヨーロッパ地域で最初に近代的な社会制度を構築し自律的にブルジョワ革命を完成させた日本の明治維新はまさに奇跡のようなことだった。その後の日本の東アジア進出は西洋帝国主義の侵略戦争とは違い搾取と収奪が目的であったのではなく革命と近代精神を広めようという意図が前提となっていたのであり、このような点から(日本は)十分に正当性を持つことができるのである。
日本帝国は朝鮮と台湾で民衆を押さえつけていた古い体制を清算して近代的な法の統治を具現化することでその結果日本統治地域の住民たちは文明の洗礼を受けより人間的な生活を享受することができた。
最近、日本とシンガポールとの間で自由貿易協定が締結されたというニュースが入ってきて、日本総理は<拡大東アジア共栄圏>を打ち出したというニュースも来た。この二つとも、大ニュースである。まさに東アジアに協力と共存の新しい時代が開きつつあることを示唆するニュースだと言える。
同じとき韓国では世界的なソプラノ歌手の美しい声と素敵な映像に彩られた明成皇后ミュージックビデオが火が付いたように売れていた。極右ショービニズムの狂風策動はつまるところ韓国という国をアジアの孤児国家にするものであり、いつかはだれも思い出したくない恥ずかしい過去となって痛ましい歴史の傷になるであろう。
この本によって(国民が)目を覚ます日の一日でも早く来ることを望んでやまない。
2002年 2月 大韓民国 首都 ソウルで
<次回用メモ>[1-2] 상처뿐인 해방-일본의 패전과 한국 p39 ≫
( )は訳者からけんがつけました。日本語部分は
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