サラダのドレッシングというのはいつも皿の底に流れてしまってもろに野菜にかじりつくことになる。工夫してあった。大根おろしかビシソワーズか、それがかかったところに3m角の🍎をまいてあった。そこに表面張力でドレッシングが引っかかるという仕掛けだ。
今月はこれが一番参考になった。オーナーが秘蔵のグラス、切り子のコレクションを見せてくれた。
なぜか人は偽物と本物を見抜こうとする。ちょうど手品を見るときタネを見つけようとして手品師の技に見入る。下手に偽物をほめたら恥をかくからだ。あるいはうんちくを述べると周りは「ああ、また始まった」程度の気持ちで、内容など分からずうんざりしている。
理解力とは知識と能力の総合芸術である。楽器と同じだ。書と同じだ。
偽物をほめても全く恥ずかしがることはない。正解とか本物とかと、そのものが持つ迫力は別物だ。
では迫力の根源は何だろう。例えばグラスなら、僕がグラスを吟味するのではない。そんなこと素人がすればたいていくそをつかむ。
グラスが僕を呼ぶのだ。時計も車もカメラも馬も、それが本物だったら僕に秋波を送り続ける。
ついでだが「重い」「カットがとがっていたい」。でないと、きらきらあらゆる色を振りまいて光りがグラスを回らず汚い。
切り子は薩摩だが広くカットグラスはボヘミアのものを超えるものは出ない。DDR 最近バカラに貧乏人がたかるがどんどん関心を持ってほしい。ゴキブリホイホイだ。
あw、日本製もこのレベルになるとコーヒーや紅茶を飲んでいくうちに日が上がり富士山が見えてくる、相模の波は荒れている。茶碗の中に世界がある。だから逸品なのだ。
何の泡かは分からなかった。それが幕になり冷えるのを防いでいた。そもそも文明人は熱いものしか食わない。あとは定番のもの。
上はすべてアイスで出来ていた。
深い皿に入っているしカトラリーが大きくて質量があり手ごたえがあり満足だ。
お子様ランチ
隣はアウトレット、ハロウイン、ハロウイン。