芸能ゴシップとダイエットとファッションとセックス。女性週刊誌とは、ほとんどこれだけを乗せているからじつに面白い。
あにはからんや、散髪をしながら女性自身を読んでいるとこれは週刊金曜日じゃないかと錯覚するまじめな記事があった。
まとまりの無い文章構成からしてまだ若い記者だ。だがこのことだけは没にさせないという強い意志を感じた。
JRが国鉄だった頃、乗客がなにか問い合わせをすると、駅員はわざと難しい言葉を使いその乗客をケムに巻いた。
情報公開といっても、不親切な基準やわかりにくい単位があふれる資料を公開されてもかえって本質を隠蔽するだけだ。日本軍が撤退を転進、政府が敗戦を終戦と言い換えて真実を隠そうとする癖は今でもある。
わざわざ被害者でありながら東電の事故隠蔽と矮小化に手を貸すバカがいる。何かに認めてほしいのか。被爆者が原子炉に飛び込むようなもんだ。
今回は数字の話はおく。
飯館村。
中学一年生との対話集会を開いた村長は名言を残した。村の唯一の中学を再開する必要に迫られたのだ。
お国が2017年3月に避難指示を解除する方向にあることを受け、「学校再開が遅れたら村に戻る子供が減っていく。国からの金も減る。だから5年は待てない。」といった。
つまり村の存続のため子供は犠牲になっても仕方ないという意味だ。
誰も安全とは言ってないし、むしろ危険性を主張する声が多い。ここで重要なのは、いまだに大量に残る死の灰が安全だと言い張るうえに、ただの言い回しの詭弁で子供をごまかしたことだ。
生徒の意見は核心を突いた。「私達が村に帰るメリットって何ですか。」
村長。「帰ったら帰ったで、少人数制の授業が出来るかも・・・」
これは暴言だ。村民は痴呆か。帰る人が少ないから生徒は少人数になってよかったろう、とは相当のアフォだ。
中1男子。「まだ放射能が残っているので校庭には出られないし部活も出来ない。」
村長。「嫌なものに出会ってしまったと考えるか、一生懸命考えて判断しようと前向きに考えるのか、そこが大切。」
と、意味不明なことを言った。
さらに村長は学校再開を伸ばせという中学1年生に向かって、「自分のときだけ何とかしてもらって、後の人はどうなってもいいのか。」とせまった。
この子は放射性セシウムの減衰を理解していったが村長には理解不能で、反対に村長の発言は住民に理解不能だった。
極めつけの村長の発言は、「津波や難病で苦しむ子供はもっと頑張っている。その大変さは皆さんのためにある。」
僕は意味がわからない。選んだ村民の良識もわからない。子供達が救いだ。