小学生の頃、
7月は2回親から叱られた。祭りの日と七夕。5,6人で連れ立って、たまに上がる花火に狂喜した。それが祭りだった。今思うと何も無かった。お面や毒々しい色のりんごを買う金もなく、ただうろついていた。白雪姫はあれを食べたのか。買えない貧乏少年達は、何でも毒であることにして我慢した。コーラも毒、コーヒーも毒、ガソリンも毒(これは正しい)・・・
そして夜遅く家に帰り、親は火を吹く様に僕を怒りののしり、僕は土間にたたされた。僕を心配してのことではない。妾に会いに行く時間がなくなったからだ。
牽牛星、織女星のデートはスケールが小さい。この写真の一つ一つが銀河(天の川)なのだ。136億光年昔の爆発の名残。
それからもう一回は七夕。じつは、今年はまだ七夕は来てない。8月9日が七夕だ。季節を象徴する年中行事まで無理に太陽暦に合わせる必要はない。
田舎には何の楽しいこともなく、単調な労働苦が空気の様に充満していた。
これは左下の梅干様のものが重要だ。地球からわずか230光年。これを230歳とすると宇宙は140億歳。そこに惑星があった。
ぶつかる銀河。星と星がぶつかる確率は 0(ゼロ)。 素通りする。気体を噴出しているという説も根強い。そのときは中にブラックホールがある計算になる。
the Bird銀河
ヘルメット星雲
エネルギーがやや異なる銀河のぶつかり。なぜこんなにもぶつかるのか。それは引力のせい。
馬頭星雲
ハッブル宇宙天文台のおかげで変な星が見える様になった。観測が精巧になればなるほど根本的ななぞが増える。陽子はなぜ+の電荷を持つか。big bangがすべての始まりなら、+-同数あるべきだが。dark matterのなぞも増える。
節句(季節の節目となる日)ぐらいは禁忌が解かれ舞い上がっても許されるときだった。(ハレ) 子供のくせにその雰囲気を感じ取り、夜、連れ立って筑後川の堤防に出かけた。自転車に2人乗りとか3人乗りとかで川に行くと夜空が開けた。
やけに流れ星が多く5分に1回程度出現した。星が見えると、恥も何も忘れて願い事を叫ぶ。「○○ちゃんと付き合えますように」などとお願いをしたが、今冷静に思うと○○ちゃんはブスだった。田舎は派手顔を美人という傾向がある。用心すべきだ。ただの絵の具のような田舎の福神漬けだ。
皆それぞれお願いすると、流れ星がまだ消えずに動いている。皆が黙るとゴーーという音がした。
f86fだ。朝鮮戦争だった。