1979年10月、大崎町井俣で農業中村邦夫さん=当時(42)=が自宅牛小屋のたい肥の中から遺体で見つかった。邦夫さんの義姉原口(当時は中村)アヤ子さんと兄2人(1人はアヤ子さんの夫)が殺人と死体遺棄容疑で、おいの中村善則さんが死体遺棄容疑で逮捕、起訴された。善則さんら3人は懲役刑が確定。原口さんは一貫して無罪を主張したが最高裁で懲役10年が確定し、服役後の95年4月に再審請求。鹿児島地裁は02年3月、原口さんの再審請求を認めた。 南日本新聞 2015年2月4日
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ところが、鹿児島地裁は、一旦認めた再審の開始を宮崎高裁によって取り消され、2月2日、最高裁も再審請求を棄却した。殺害されたとされる中村邦夫さんにくわえアヤ子さんの兄2人、計3人とも知的障害がある。兄2人に甥を加えた3人とアヤ子さんの共犯であるとされた。
懲役刑を受けた甥は自殺した。犯行を否定しつつ死んだ。
絞殺の判断をした鑑定人自身が、自分の鑑定をのちに否定した。物証となるべきタオルがない。つまり知的障害者を中心とする証言や自白のみで推定有罪の判決を出した。
アヤ子さん10年、兄たちに8年7年、甥に1年の懲役。
判決に対する反論はいくつでもあるが、前回のブログとも関連する自白の任意性に絞る。歴史的に、自白のみによって検事が描いた犯罪は虚偽であることが多い。任意性があっても自白の証拠能力は低いのである。
僕はある犯罪に関連し主犯として取調べを受けたことがある。その当時僕は、何故か起訴猶予(無罪)になった。
だがその直前まで続いた取調べと調書の作成は熾烈を極めた。「やっとらんなら自白せんとよかろうもん(やってないなら自白しないといいじゃないか)。」 世の中そんなに甘くない。人間は密室で追求され続けると自分が犯人かどうか分からなくなってくる。
自分を責める警察官に何故か媚を売ろうとする心理すら生じる。ラーメンをおごってもらうと、もうなんでも言いますという気になる。
違うという人は取調べを受けたことがない。警察は、バイク泥棒は野放しだが暴力沙汰には甘くない。
キャリアのくせに、俺はどんな自白でも引き出して見せると豪語する奴がいた。現場のノンキャリア組の中では常識だ。
だから自白に頼ってははならないという教訓を学んできた。そのはずだった。
警察は被疑者がバカだから簡単に落とせると思ったな。否。原口アヤ子さんは、抜きんでた芯の強さを持つ鹿児島の最高の女だ。
徳島ラジオ商事件、名張毒ぶどう酒事件、足利事件、飯塚事件、袴田事件。体面や組織のしがらみのせいで人が死んでいく。