しとらん(やってない)なら、なして(なぜ)自白ば(を)したとか。死刑がえずなって(怖くなって)証言ば変えるちゃあ(とは)こすかぞ(ずるいぞ)。
根底に流れる被害者及び一般国民の偽らざる心情だろう。だが僕は返す言葉を持つ。
いつ自白ばしたか。おまえドンが(おまえたちが)はけち(じはくしろと)ゆうた(いった)だけじゃ。
ところが、戦後拷問が禁止されてからは、警察は検挙率をあげるため巧妙化した取り調べを行っている。それがいけないとは言ってない。アホは落ち着いて読め。
声を荒げることも机をたたくことも被疑者の人権を考慮して禁じられる。被疑者尋問は、送検までの限られた日数の中で、さらに限られた時間しか尋問できない。被疑者の人権保護の立場からだ。
検事が受理するに足る調書を作成したい警察と、なんとかしらを切りたい被疑者の戦いになる。
が、人違いの可能性をどうやって排除したんだ。これに反論するため警察は戦前からの伝統「自白」に頼る。つまり、本人がやったと言ってるじゃないか、と。乱暴な奴らは、その検証もそこそこに、被疑者の人権ばかり優先されていては、せっかく捕まえた犯人を取り逃がすことになるじゃないかと心配する。ばか。
ぼくは多くの反論がある。たしかに、よい子ぶった人権派なるものは、殺したいほど嫌いだ。人権派こそ人殺しだ。いずれ述べる。まってろ偽善者。有名になった事件にのみ、のこのこ出てきてお涙ちょうだいをぶつ。悪質この上ない。一旦おく。
冤罪の被害者は、法律の知識も十分でないまま自白調書を取られてしまう。あらぬ嫌疑は、その人の人生を奪う。警察は言う。「オマエ、やってないならここで判をつけ。検察庁、裁判所、弁明のチャンスはいくらでもある。」白紙に拇印をおさせられる。5,6人がかりで押さえつけるからどうすることもできない。自白調書の出来上がりだ。
第三者のいない部屋で被疑者の胸ぐらをつかもうと壁に打ち付けようと何が残る。
さらに知的障害がなくとも、何時間も厳しく言われたり、優しくされたりを繰り返されると、もう何が何だか分からなくなる。「これを言うたら釈放ぞ。」と言われるともう何でもよくなる。そして釈放されるが、警察の玄関で再逮捕される。あるいは、「別件逮捕をすればオマエを無限に拘留(留置)出来るんだぞ。」と、伝家の宝刀を出す。
もうこの後は、何でもしゃべる人間になっている。
大崎事件では、完全否認を通した女性がいる。ぼくも取り調べを受けたことがある。3日で音を上げた。なんて強い人だろう。「認めれば仮釈放で娑婆に出られるぞ。」という悪魔の誘いを断る。10年否定して満期出所。
警察は豪語する。俺は3日あればどんな調書も作れる。
精神薄弱者たちからまずウソの自白を引き出し、ウソの共犯者にし、交換条件として軽い罪にした。障害者を重罪にすると世論が反発する。外堀を埋め、一番世論が反発しない人(健常者)を犯人に仕立て上げた。
ヤクザがガタガタ言う奴を黙らせるために、みせしめをリンチにかけるのと同一だ。これが本質である。被害者は、警察や裁判所に仕返しを期待する。冷静な判断は不可能になり、法廷は人違いでも何でもいいから復讐の場と化す。
人権派の目立ちたがり屋たちが、ち密な論理構成で冤罪を晴らそうとしても無駄だ。ぼくの友人(裁判官)達は、「めんどくさい」という理由から再審、冤罪事件を棄却している。
自分の同僚が熟慮し判決を下したのだから、よもやま違いはあるまい。そんなことしたら先輩判事に悪いし昇進にもひびく。いつまでも地裁にいたい判事はいない。高裁に行くと仕事は1/10になる。
目の前の警察だけにしか目がいかず、「だって泥棒を、人殺しを、逃がしちゃあいけないじゃないか。」というのは、ホームラン級のバカだ。
権力を構成するそれぞれの組織は、いくら冤罪が起ころうと痛くも痒くもない。現に、飯塚事件(僕のブログを参照してください)で無実の人を死刑にしてどの権力が困ったか。泣いたのは誤判で殺された久間さんの遺族だけだ。
この大崎事件も同様だ。泣いたのは人生の10年を奪われた原口元受刑者(上記写真)だけだ。だが、原口おばあちゃんはただの一度も自白してない。
満期出所。相当の凶悪犯が受ける仕打ちだ。
冤罪とは誤判ではない。功を焦る警察の暴走を止めるシステムがないことによる、合法殺人だ。
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1980年3月31日、鹿児島地裁は長男の嫁を主犯として被害者を西洋タオルで絞め殺して牛小屋堆肥置き場に死体を遺棄した殺人、死体遺棄罪で懲役10年、長兄に懲役8年、次兄に懲役7年、甥に懲役1年の判決。長男の嫁のみ即日控訴するも、同年10月14日、福岡高裁宮崎支部が棄却。さらに即日控訴するも、1981年1月30日、最高裁が棄却して、長男の嫁の懲役10年確定。
?1987年4月25日、次兄死亡。
?1990年7月17日、長男の嫁が刑期満了で出所。
?1993年10月2日、長兄死亡。
?1995年4月19日、長男の嫁が鹿児島地裁に再審請求。
?1997年9月19日には甥も同地裁に再審請求するも、2001年5月17日、自殺。
?2001年8月24日、甥の母親が彼の請求を引き継ぎ再審請求(2004年に甥の母親が死亡後は請求の引継ぎ者は現れず、甥の母親の死後以降の再審請求は嫁のみとなる)。
冤罪が疑われる事件で、知的障害・精神障害の傾向がある共犯者らの自白の信用性が問題とされ、再審請求の範疇に入る。
第1次再審請求を受けて鹿児島地方裁判所は2人に対し2002年3月26日再審開始を決定したが、即時抗告において福岡高等裁判所宮崎支部は再審開始決定を取り消し、特別抗告において最高裁判所は即時抗告審の取り消し決定を支持した。
唯一の再審請求者である嫁は、被害者の兄嫁(義理の姉)にあたる農業を営む隣家主婦で、捜査段階から公判ないし受刑中を含め一貫して現在まで、事件への関与を否定している。
Wiki
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2013.7.18 宮崎高裁は宮崎高検に対し本件に関する証拠リストの開示を求めた。天空に輝く星が現れた気がする。84歳。時間がない。国は意地を張らず情けを見せろ。