車庫の奥で猫が子を産んだ。半年前。だが生まれた子供は次々に姿を消した。
母猫は子供をスパルタで育てた。乳を吸えない子供は無視したが、人に聞くとそんなもんだそうだ。
野生は厳しい。見込みないのを育てても無駄だ・・・。なんて言ってはみても、赤ちゃん猫が次々死ぬかカラスのえさになるのを見ると、なんともモヤモヤ感が残る。
まさに、「情に掉させば流される」。
かくしてビビはうちに来た。この写真は少したって離乳食が始まったころ。
そのビビも半年たつと、タマが大きくなってきた。ので、
同性として同情する。タイトル画像は手術頑張ったご褒美。
猫を飼うと感情を後回しにすることが多い。今回の去勢しかり、毎日の猫部屋の掃除とか、ウンチ、抜け毛・・・。猫の世話はモヤモヤ感に満ちている。
目下の課題は教育だ。
僕はビビにコミニュケーション社会学の講義をしている。だいぶわかっていて、食事のときは座るとか、遊びたいときは道具をくわえて来て僕の前でうしろ足で立つとか、だいぶいろんなことができるようになった。
そうするうちに自発的な思考をするようになった。
せっかく僕が作った段ボール製のビビハウスを食いちぎった。僕は、またまたモヤモヤしたのだ。しかし、よく見ると段ボールをむやみに食いちぎっているのではない。
自分のケージの上でお昼寝するビビ。
ビビは自分のお家をリフォームしているのだ。側面にも出入り口を作ってしまった。
実のところは、そう考えることにしようと達観した。
僕が中学生のころ、クラスにすさまじい音痴がいた。ぼくらは面白いのでよくからかっていじめていた。音楽の先生はそれを見て、こういった。
おまいら何を根拠に音が外れたというのか。彼はおまいらより素晴らしいのだ。なぜなら彼は作曲をしているから。
おまいらは元歌通りにしか歌えんだろ。
なるほど、物は考えようだ。
だからビビもリフォームをしている、と。
一方、もう一匹のカラシは、若干すねている。