<前回のつづき>
日帝時代、韓国の資本主義的転換が解放と戦争を通じて全面的に否定されたのではなくだいたいにおいて温存されたという事実も正確に抑えておくべきである。1940(5?訳者注)~50年代朝鮮南部に対する米国の直接間接の支配には日帝の残滓の清算よりは持続の側面がはるかに多かった。解放以降、冷戦と反共主義は真の脱植民地化を遮る最大の障壁であった。
そして、植民地近代化批判論は半島南部の場合とあまりにも対照的な半島北半部の現在の危機状況を指摘しながら全般的な日帝植民地支配の経済的効果を疑っているのだがこれは説得力がない考え方だ。なぜなら解放以後の南が日帝の遺産をごっそり継承したし、また資本主義的発展戦略を採択していたのに対し、北は最初から日帝時代を徹底的に清算したのみならず南とは正反対に主体(チュチェ)社会主義の道を歩いたからである。なので、日帝時代の経済成長の遺産が北の場合当てはまらない理由は自明であろう。
しかしながら、ここで植民地近代化論という概念自体が植民地近代化批判論者たちの誤解をみずから招いているという側面だけはよく考える必要がある。「発展」とはちがって「近代化」は学問的に見ると価値中立的な概念だ。しかしそれが通常の使用であるとき肯定的な意味を含んでいるのは事実だ。
であるからして、植民地近代化を「植民地工業化」という概念に代替させる必要がある。これは単純に「誤解」を避けるための戦略として意味があるのではない。かえって、植民地時代を多面的に、そして多次元的に理解するためにも「近代化」と同様の包括的な広義の概念は分析的な側面から適切ではない可能性があるからだ。
出典 <特集2>韓国の植民地近代化 © からけん訳
次回用メモ ‘새 친일파를 위한 변명’ 김 완섭 (46)