<前回のつづき> 韓国人が韓国人に対し日本をどう見るべきかについて書いた文です。
私は、韓国人が日本に対してもっと尊敬し尊重する態度を示す必要があると思う。隣国に対する最小限の尊敬の心を持とうというのは、彼らを崇拝して事大主義になるとか卑屈になることを言うのではない。互いに尊敬する心がないなら人間関係もうまく行かないものであるしいわんや国家関係がうまく行くはずがない。
ある意味で日本人はちょっとかわいそうであるといえる。あるときうまく行っていた経済が10年前ぐらいからいつのまにか崩壊し始めいまのところとどまるところを知らない長期不況が続いている。「失われた10年」と言われるこの期間、日本の不動産価格半分以下に下落したし株式価格は絶頂期の4分の1にとどまっている。外国人投資家たちも日本を離れる状況だ。いまだ貿易収支の値は黒字基調が続いているが、日本経済を支えてきた造船、自動車、電子産業も工場が海外に移転し採算性が以前のようではなく次第に規模が小さくなっている。
したがって日本は韓国、台湾のような周辺国と緊密な経済協力を通じ成長のエンジンを回復させる位置に来ている。また輸出に依存した経済発展戦略を推進してきた韓国台湾も日々ブロック化を目指し追いかけてくる世界経済の趨勢下では、確固として規模が大きい内需市場の必要性が切迫してきている状況だ。このように旧日本帝国をなしていた3ヶ国が互いを必要としている状況は今後望ましい日韓関係をなしていくにあたり絶好の機会を提供している。
私は韓国と日本が一日も早く過去の歴史の亡霊と絶縁し本物の友情を分かち合うことを望む。北米と欧州はすでに大陸を包括する巨大なブロックを作り団結しているのに東南アジアは紛争が絶えることはなく互いにけなし合いいがみ合っている。小さな無人島一個二個をめぐっての意見衝突が領土紛争に発展し武力示威すら持ち出す軍事的緊張状態が続いているのも、考えてみると隣国同士に互いを尊敬し理解しようという心がないからだ。このような意味から日本の立場をもう少し彼らの視点から理解する必要がある。
[1-8] 罪といえば負けたことだけだ P113
カテゴリー 「新 親日派のための弁明」キムワンソプ
第一部 目覚めるアジア
韓国人は言う。なぜドイツは徹底的に過去を清算し謝罪しているのに日本はしないのか。ドイツではいまだに機会があるごとに隣国に対し総理が頭を下げ謝罪をし教科書でもナチの罪悪性を徹底して教えている。なぜ日本はそうしないのか。なぜ日本はドイツを手本とせず意地を張っているのか。もどかしい限りだ。・・・そうは言うもののこの問題でもどかしいのはむしろ日本のほうだ。ドイツと日本は第二次大戦当時何年間かは同盟関係にあったし敗戦国である。この点以外には共通点は一つもないのに日本がドイツと全く同一の行動をとるべきだという理由はない。そのうえ日本としてはさほど明らかな過ちはないから別に謝る理由も感じてはいないのだ。
むしろ大都市である広島長崎を新型大量殺傷武器である原子爆弾の性能試験場として使い数十万人の民間人を虐殺したアメリカが謝罪してこそ当たり前である。アメリカは戦争の土壇場で開発した原子爆弾を日本人を対象に実験をしつつ、例えば200キロトンウラン爆弾で何人を殺せるのか、被害半径はどの程度であるのかを綿密に見届けた。数日後長崎には新型プルトニウム爆弾を投下し同じような実験をする。
アメリカの弁明として。原子爆弾を都市に落とさなかったら米軍日本軍あわせて数百万人が死んでいただろうからしかたなかったのだという。そういう言い方もできるであろうがそういう言い方では済まないこともある。当時は欧州戦線でドイツは亡びヒットラーも自殺しあちこちで戦争犯罪裁判所が設けられていた時期だった。
<つづく> 毎月20日発行