<前回の続き>
1950年代末にすでに1940年代初めの経済力を回復した日本と比較してみるとき、(韓国との間に)25年程度の開きが出ている。旧日本帝国の外地の中で台湾に続いて2位の地位にあたる優等生であった南朝鮮がどういうわけで(戦後)40年がすぎてやっと日帝時代の水準に到達したのか。戦争によって国土が焦土化したのは日本も同じであるので戦争のせいであるとは言えない。
結論は自明のことだ。終戦当時朝鮮には約70万名の日本人が居住していた。彼らは戦後戦勝国の決定に従って朝鮮にあったすべての財産を没収されたまま日本に追放された。彼らは合邦以後日本から移住してきた公務員、教師、警察、事業家、農民、労働者、技術者として大部分は優秀な人力だった。すなはち落後していた朝鮮は40年間彼らの力によって高度成長を持続し輸出型工業国に成長したのであり、敗戦後彼らが一度に追放されその地位を海外から帰国したいわゆる「独立運動家」というルンペン集団が取って代わるという支配層の交代が起こった。これによって朝鮮は再び数十年前の社会に後退してしまったのである。
また挑戦は1940年代国内総生産の69%という驚異的な貿易依存体質を有していた。これはもちろん内地(日本)との貿易であった。しかし韓国は政府樹立以後請求権問題が絡んで20年間国交を樹立することができなかったため絶対的な輸出市場を喪失してしまった。今日一年間に3500億ドルの交易をしている韓国経済が、ある日突然交易額が350億ドルに縮んだら破滅状態になるのは自明なことだ。日本の敗戦以後母国を喪失した韓国経済は悲惨な破滅状態を経験したのだ。
[解放だったのか]
このように考察すると、韓国人は終戦を「解放」だと言って」8月15日を光を再び回復した日だという意味の「光復節」として祝うのは失笑買うことだと言わざるを得ない。その「解放」によって果たしてわれらは自由を回復し幸福になったのか?その日以後朝鮮人たちには分断と左右の対立、果てしない虐殺と戦争、空腹と涙のみが残った。豊かで献身的な父母のもと幸せに育った子供がまともに成長する前に孤児に転落してしまったのが戦後韓国の姿だ。振り返ればその長すぎた地獄のような日々に耐え今日を作り上げた韓国人の驚くべき姿に思いをはせるのみである。日本の敗戦によって韓国が得たものは分断と苦痛、飢餓と死のみだった。失ったものは70万人の日本人と輸出市場、そして何よりも尊い自由と尊厳であった。今日韓国には18000名の日本人が居住している。
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