外交部スポークスマンの会見
引用(WIKIから抜粋)一部改
康 京和(カン・ギョンファ、韓国語: 강경화)
1955年4月7日にソウル特別市に生まれる[1]。梨花女子高等学校、延世大学校政治外交学科を卒業後[2]、1977年に韓国放送公社(KBS)にアナウンサーとして入社。その後、国際放送のプロデューサー兼アナウンサーとして活躍した[2][3][4]。またマサチューセッツ大学大学院にてコミュニケーション学の修士号、博士号を取得[4][5]。1994年に世宗大学校の英語英文学科助教授[5]。外交部長官。(日本でいう外務大臣に相当。) 以上
梨花女子高に行ってたんだから、そのまま梨花女子大に行く道はなかったのかと聞いたことがある。彼女は即座に梨花には政治学科がありません、と答えた。
僕と彼女は、2,3科目共通した授業を受けていた。お互い学部は違った。学部を超えての友達は珍しい。僕は年齢がわずかに上だったが、韓国では年齢の上下は絶対で男同士殴り合うときも敬語を使う。彼女も先輩扱いしてくれた。僕は無理に文学部に行かされた。日本の文部省には学問の自由がないので仕方なく通っていたが、履修した授業は社会科学が多かった。
そういう人間とは異なり姜さんは、「私はマスコミに入ります、できればKBSに入りたいです」、と述べた。僕は重要な人間ではなかったらしく、僕が言ったことをよく忘れて何回も言うのでこちらもやる気をなくした。
延世大に入るだけでも相当な競争なのだが、さらにマスコミに入るのは韓国語ではこう表現する。
「ラクダが針の穴を通る」
まさに針の穴を通ろうと悪戦苦闘の最中に、僕はお願いをしたことがある。韓国語の発音に関して僕は疑問点を持っていた。文学部は勉強しないところなので誰に聞いてもわからない。そこで彼女に本を一冊まるまる朗読し録音してもらった。3日かかりました、と不満を言いつつも受けたことはちゃんとやる。
韓国の大学は中間考査をする教科がある。迷惑な話だ。彼女は猛然と先生に食ってかかっていた。こんなテストのせいで入社試験を落ちたらどうしてくれるんだ、と。東洋史。
頭がよく回転が速く話の筋をずらさないいわゆる才女だ。人の話を聞くよりも自己主張を優先させるのはやはり韓国人だなと思うが、言い負けると素直だ。たいてい僕が言い負けた。僕は話下手で日本人にも言い負ける。書いたらちょっといい。
重要な点は、自己主張が強いが自己優先ではなかったこと。人々を助けこの国をよくするために社会参加をしていくんだと堂々と言った。
いつ聞いてもいい響きの言葉だ。学問成就。合格。
ぐうたらには無縁だ。「合格」という言葉の響きの何の感慨も浮かばんだろう。
国家、国民は、国籍に関係なく学業や業績で秀でる人を認める心の広さが必要だ。
人の発言の二歩も三歩も先を読み、かといって決してかぶせて言うような育ちの悪さはなくさわやかな人だった。
もちろん日本の右翼も言う。国のための社会参加だと。だがきちんとした文字、文章を書けず、きちんとした議論のルールーを知らず、訓練も受けず、漢字を知らず、筆順すら知らず、小学生の字だ。低能の集まりの中で同じことばかり言っていても向上がない。
僕は、KBSはコネなしには無理だろうと思ったが、育ちのいい彼女は十分なコネがありながら実力で入社した。韓国語で言う「落下傘」ではない。
僕がいたころは、コネさえあればなんでも可能な国だった。今日、韓国は民主化の方向にかじを切りつつある。まだ道のりは遠いが、コネはSUPERPOWERではくなってきた。
カネを払えば医学部に行けて金儲けができる。それを何というか。日本という。
日本は、下級公務員はほとんどコネでなる。企業はコネさえあればよい。そんな腐った体質の中でキャリアはやる気をなくし能力がつぶれる。正義感はかけらも見られない。頭が悪く融通が利かない。言われたことしかしない。よどんだ目をした鵺の群れが列島を覆っている。
これ、国か?