以前、バカとツーリングに行った。このバカがしきりにせがむので仕方なく行った。バカはいろんな人間とツーリングに行って、バイクを交換して乗り、タダでいろんなバイクを楽しむのが目的だった。
しかも僕のはゼファーだ。
由布院から阿蘇を回りまた由布院に帰る予定だった。が、僕が由布院に戻ることは、二度となかった。
バカの望みどおりバイクを交換して乗ったが、気違いのように飛ばしバカは道を間違えた。僕は正しい道を探していたのでバカたちに遅れた。急いで、間違った道を行くバカを探した。なんと、
見通せないカーブのすぐ向こう側に道に広がりバカたちが停車していた。僕は、100キロは出していたので、衝突を避けるためコケた。
大怪我をし救急車で運ばれたが、どこの病院も居留守を使って診察しようとしない。日本の救急車は輸血をしない。医者が職域を守るためだ。さらに、原則、医者は面倒なので救急車に乗らない。
かたや救急隊は、誠心誠意僕を助けようとしてくれた。「これぐらいの出血では死にません。」この一言にどれほど救われたか。
大津(熊本県)というところまで1時間以上かかって着いた。
ところがその時、何秒かの差で別の救急車も着いた。僕が若干早かった。ストレッチャー(移送担架)が2台、手術室の前に並んだ。僕のほうもそんなに軽症ではない。裂傷4箇所、脱臼2箇所、骨折1。だが、僕は、搬送される途中でも絶対死なないぞと思っていた。
もう一方のストレッチャーは、自殺だった。並んだストレッチャーからまだ頭が動いているのが見えた。僕は、カッコつけて医者に僕を後回しにするよう頼んだ。
僕は町医者ごときは、普段より軽蔑している。金儲けはいいが不勉強が嫌いだ。しかし、インターンのように若いその医者は、医者としての哲学を持っていた。習いたてではあるにせよ、切った貼った、薬価がどうのより、お前は今何をしているのか、何ゆえそこにいて施術しているのか、の認識を持っていた。
僕の申し出を断った若い医者はこう言った。
病院は人を助けるところです。相当の理由があるときは、順番を入れ替えることはあります。今回は、自ら命はいらないと思った方です。相当の理由には当たりません。
2時間ぐらいして警察官が来た。車椅子に移っていた僕にライターを貸してくれといった。線香の火だ。死んだのだ。家族が泣いていた。警察官に原因を尋ねると、仕事関係らしいですといった。
命捨つるほどの「仕事」はありや。